日本工芸会東日本支部陶芸部会の研究会は20年ぶりだそうです。
陶芸部会は、人数が多いのと在住地域が広すぎてこういうイベントが難しかったというのが現実的な問題でした。
笠間とか、益子といったある程度作家が集中しているところでは、地域ごとに研究会が行われておりました。
そういうわけで、ものめずらしさもあってか、50人余りの方が参加してくれました。
一時に国立近代美術館に集合、受付で会費1000円を払うと、2つのグループに分かれ行動しました。
私が入ったグループは名前がア行からタ行までの作家達だそうで、あらかじめ近代美術館所蔵の作品の中から見せて頂きたいものをリクエストして、それを鑑賞することになりました。
出ていた作品は以下の通りです。
富本憲吉(敬称略)の白磁面取りの蓋付壷、小ぶりな羊歯文の赤絵金彩の壷と染付の組皿数枚。
加守田章二の長角皿。
ルーシー・リーの花器二つと碗一つ、パートナーだったハンス・コパーの小品。
江崎一生の第16回日本伝統工芸展に出品した大皿。
現役作家である小野寺玄氏の1970年代の第4回日本陶芸展の受賞作品。作者も出席していて「僕がリクエストしたの。」とのことですが、本当でしょうか?
日本陶芸展受賞の後、好事家の手に渡っていた現品を近代美術館が後に手に入れたものだそうです。
それから、当代楽吉左衛門さんの茶碗と限りなくオブジェに近い水指でした。
作家の皆さんが興味を持っておられたのは、富本憲吉の八角壷の内側がまん丸だったこと。
その結果、面取りをしてもかなり重量感を感じました。
また、同じ富本の染付けの皿に呉須が釉に溶け込みきらず、飽和してしまってギラギラ結晶になっているところが見受けられました。これについては、染付けの仕事をしている伊志良光氏の方から「呉須が濃いところはこうなるんですよ。手描きだから出るのが当たり前で、むしろ文様を効果的に引き締めている。」という解説があり、一堂納得。
次に2階の岡部嶺男展に移動。企画展なので、全ての作品というわけにはいかず、近代美術館で所有しているものと、所有者の許可をいただけたものを手に取って見せて頂けました。
特に青磁のコーナーでは、青磁の仕事をしている浦口雅行氏が「この米色青磁の茶碗、茶溜まりのところが還元になって、青くなっているでしょ。これは高台の裏からガスが回るんですよ。」と教えて頂きました。
酸化、還元の影響を特に受け易い青磁の仕事を、薪窯で焚くというのは、改めて大変なことだと思いました。
先の日本陶芸展で、大賞を受賞した志賀暁吉氏、那須で青磁を焼いている峯岸勢晃氏などは明日から日本橋三越で個展だというのに、時間を割いて一生懸命見ておられました。
そういえば青磁の仕事をしている人が、顔ぶれの中に多いなあと気が付いたのは、このころでした。
まあ、当たりまえですけど。
現在益子在住の鈴木量氏は愛知県の出身で岡部さんの工房が徒歩5分ぐらいのところだったそうで、訪ねて行った時のことを思い出したように話して下さいました。
「日本橋高島屋での個展の前だったかなあ。岡部さんの工房を訪ねていったら、個展用の出品作なんてどこにもないんだよ。かわりに100種類以上の粘土が置いてあっておびただしい数のぐい呑(テストピース)がそこらじゅうに置いてあった。当時でもうぐい呑に数万円の値段が付いているんだけど、それをバカバカ割っちゃうんだよね。割らないと厚みが分からないから、と言ってね。」
なかなか貴重な話が聞けました。
もう一度近代作家の部屋に行ったら若い作家が「作品がリクエストできるなんて、しらなかったなあ。分かっていれば石黒宗麿みたかったなあ」とつぶやくと、それを聞いた金子賢治先生はちょっと待っててね、と言ってロウ抜きの鳥文の壷と黒釉の鉢の2点取ってきて下さいました。
鳥文の壷については、壷の内側の釉の方が光沢があり、中外別の釉を掛けたものか、ひょっとしたら焼きあがった後、フッ素等で加工したかもしれない、との感想が出ていました。
最後に皆で記念写真を撮って解散となりました。
その後は毎日新聞が入っているビルの地下に移動。
午後3時からという半端な時間でしたが、乾杯してしまいました。
3時から懇親会なんてしちゃっていいのかなと思いましたが、そこはさすがに陶芸家の集まり、みなさんいつものようにぐいぐいやっておられました。ひとしきりお酒も回ってお腹もいっぱいになって、表へ出たらまだ明るくてびっくり。
このまま有志によるカラオケ大会となりました。
本来休館日なのに陶芸部会研究会のために会場を提供して下さった金子賢治先生はじめスタッフの方々に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。
この研究会は本来は、会員でなくても参加できることになっているはずなのですが、だからと言って日本国民全員に告示することは出来ません。何らかの形で会員になって頂いている約300名への案内状を出したそうです。
もし定期的に研究会を行うことになれば、どこまで案内を出すか、とか、会費をどう取り扱うか、とか、解決しなくてはいけないこともないわけではないと思いました。
そんなことはさて置いても20年ぶりに研究会が出来たこと、これが大事です。
追伸:作品の正式名称については、確認しておりません。あしからずご了承ください。