2007年6月14日 (木)

幹事会がありました。

日本工芸会東日本支部の幹事会がありました。
と、その前に第二回目のHP委員会がありました。
今日のところは予算とか維持の手間とか、俗なことは全く考えずこういうホームページにしたらいいのではないかという、夢を語る会になりました。
しかし、そろそろ業者の選定等を含む具体的な話が進むことになりそうです。

会場を変えて幹事会が行われました。
今日の議題は平成18年度の事業報告および会計報告が主で、つまりここで紹介しても特に楽しいものではないような、気がいたします。

現在東日本支部には、7つの研究会があります。これは長野や神奈川など県ごとに立ち上げているもので、もともとは巡回展をするときの受け皿として機能していたものが、巡回展とは関係なく、本来の研究のために作られたところもあり、もしろん研究会がない県もあります。
また、日本工芸会正会員でも住んでいるところの研究会に入るか入らないかは、任意です。つまり、この研究会という組織は位置づけがバラバラですから、東日本支部の下部組織として正式に位置づけたらどうかという案が出ていました。
そしてこの組織から、代表者を何らかの形で幹事会等の集まりに出席して頂いてはどうかというお話でした。
ただ、研究会組織のないところや、巡回展がないところの人たちと温度差がないようにしなくてはいけないという意見も出ていました。

また、伝統工芸新作展という名称を変更してはどうか、という意見が出ておりました。
実際にお客様に説明する時に本展(日本伝統工芸展)と紛らわしく東日本支部でやっている展覧会なんですと、いちいち説明するコストを名称を変えることですぐに分かってもらえる方が良いのではないか、とのこと。
例案として「東日本伝統工芸展」「日本工芸会東日本支部展」「日本伝統工芸東日本支部展」「春の伝統工芸展」などが出ておりました。
ただこれには47年間積み上げてきたブランドとしての実績を維持するべきではないか、という意見も出て、次回までに懸案ということになりました。

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2007年6月12日 (火)

長野の思い出

一水会長野展が無事終了し、おかげさまで赤字にならずに、また、いろいろな方とお会いできて楽しかったです。
今はお買い上げいただいた作品の箱を注文して、それを待っているところです。
箱ができたら箱書きをして、長野に送りお客様のお手元にお届けしてもらって、本当の終了になります。
東京はいろいろなところから人が集まりますから、個展の時は作品の箱をあらかじめ作っておく必要があります。
実際に私のお客様でも、北海道の方やそのまま外国に持ち帰るという方、いろいろいらっしゃいました。
桐の箱は軽くて火に強い(万が一火事になった時、中まで熱が伝わり難い)ところや壊れやすいところが美術品の箱として適していると言われています。
壊れやすい、というのは大切なことで、硬い床に落とした時など箱は大丈夫なのに中身が割れていた、では困ってしまいます。
中身より先に箱が壊れる必要があります。
これは昨今の自動車の設計に取り入れられている思想で、クラッシャブル構造などというしゃれた言い方もあるようです。
昔からこれを取り入れている先人たちの知恵には脱帽です。

長野展の会期中に陶芸家のHさんが作品を持参してきて「ご意見を頂きたい」とのこと。
私は人の展覧会に行って作品のコメントをするなど超苦手ですので、今まで避けまくってきました。私に聞いてもしょうがないでしょう、という気持ちとせっかく来てくれたのだから何か言わなくてはと思い、無理に言葉を搾り出して結構大変でした。
Hさんに頂戴した炒り立ての南京豆と手摘みの山菜、おいしゅうございました。

また会期中、いろいろおいしいものを頂きましたが、毎日3食ずつおいし過ぎて一つ一つの記憶が薄れてしまったのが残念です。
JALシティというホテルに滞在しておりましたが、近くでジャズフェスティバルがあって、そのアーティストたちが同じホテルに泊まっておりました。朝食のバイキング会場でも黒人がたくさんおりました。料理のなかに突然牛テールと野菜の煮込みが登場していて、これって彼らのソウルフードですよね。
さすがJAL、というか何か分かっているなあと思い、へんなところで感心しました。
また、日曜日にお客様が途切れず、なかなかランチの時間が取れなかった。担当の方が先にデパートの上階のレストランに行って「先生の好きそうなもの、頼んでおきますから、すぐ来てくださいね」というわけで、中華料理屋に行きました。
出てきたメニューは「ラーメンと焼きそばの定食」。
ちょっとびっくりしました。
お盆の上にラーメンと焼きそば、小さいサラダとデザート、これを完食すればその後九時間は空腹を感じないで済むということは、実証できました。
これを考えた人とOKを出した責任者と本当に食べちゃった3名は、ひょうきんだなあと思いました。来年はぜひ長野名物として、富士宮のB級グルメ大会に出場して欲しいものです。

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2007年6月 6日 (水)

原先生のチョコレート

昨年の話ですが、日本伝統工芸展仙台展で行われた子供鑑賞コースの講師の係りになり、行ってきました。
この件は日本工芸会東日本支部の会報でレポートしますので、ちょっと置いといて。
仙台で人間国宝の原清先生と話をしている時に、ひょんなことから「銅」の話になりました。
私の使っている赤色酸化銅に先生は興味を持たれたようで、「面白そうだから少し送ってくれないか?」とのこと。
さっそく東京に帰って送らせて頂きました。
先日の正会員展の搬出の時、原先生が銅のお礼だとおっしゃって、ゴディバのチョコレートを下さいました。
誠に恐縮なことです。
と、言うのも私はこの銅を近所で銅製品のリサイクルをしている会社のオーナーからタダで分けてもらっているもので、文字通りの美味しい話になってしまいました。
銅は還元で焼くと赤く発色することが知られていますが、青味の強い釉の中では赤+青=紫に発色します。
鈞窯の紫斑はこの理屈です。
銅が赤や紫になるのは、釉の中の銅の霧、というかコロイド状のものが人の目には赤く見えます。
私の工房では鈞窯の紫斑を出すのに塩化銅を使っています。
これは私の先生だった(正確には勤務先の上司)加藤徳広先生に教わったことです。
加藤徳広先生は、加藤土師萌(かとうはじめ)さんのご子息です。
土師萌先生も鈞窯の赤みを出す時や辰砂を作るときに、この塩化銅を利用されていたとのことでした。
確かに霧状のコロイドを作るのに固体から気体よりも、液体から気体の方が無理がない、という理屈です。
塩化銅は銅が水に溶けているような液状の顔料です。
黄瀬戸を作るのに使うタンパン(硫酸銅)でも代用できます。
私の感覚では塩化銅の方がライトな感じ、付けすぎちゃってしまったという事故が少ないような気がします。
硫酸銅は付けすぎると濃いところが還元しきれずに酸化のまま、つまり緑色のまま残ってしまうこともあり、これをしまったと思うか1色儲けたと思うかは人それぞれでしょう。

原先生に頂いたゴディバのチョコレートを家人とスタッフが目ざとく見つけ、むしゃむしゃやっていました。
「美味しいでしょ。何しろ原先生の爪の垢入りだからね。」
「そうなんですか?どうりでコクががあると思いました。」

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2007年6月 3日 (日)

正会員展無事終了

日本橋三越本店で催されていた新作陶芸展(通称正会員展)が無事終了しました。
今年は昨年よりも倍近い売り上げがあったそうで、景気も良くなってきているのでしょうか。
搬出作業は、作品をエアパッキン等で梱包するまでが作家の仕事。
今年から出品する方に箱を付けないで全て後日にして下さいとお願いしたため、例年よりも早めに日通に引渡し、会場を後にしました。
その後恒例の慰労会。特に会場当番の福野道隆さんは朝から会場に立っていたにも関わらず、搬出作業まで残って手伝ってくれました。
ていうか、帰れませんよね。人間国宝まで来て労働しているのに、それじゃあお先にと、帰れるだけの根性のある人を私は知らない。

私事ですが、長野東急で行われていた一水会陶芸部会員展の会場当番で4日ほど長野に滞在しておりました。
正会員展の搬出に間に合うように帰ってきたら、やっぱり東京は暑かった。
長野では出品者の代表として会場当番をしているわけですから、そうそう遊びに出るわけにもいかず、朝から真面目に会場に立っておりました。
長野にはデパートが一つしかないということで、陶芸の展覧会をやると必ず来てくださるお客様というのが何名どころではなく、何十名といるのだそうで、お客様がまったく途切れるという時間がないことに驚きました。
それでも夕方になると担当の方が長野の良いところを案内してくれました。
小布施、仙仁温泉、長野を代表する陶芸家、小林陶春先生の工房などです。
小布施という所は観光客向けに整備されていて、造り酒屋のショットバーがあったり、美味しいレストランがあったり、良いところだと思いました。
失礼ながら栗のお菓子のイメージしかなかったのですが、ヴァンヴェールというレストランではフォアグラの焼いたのがとても美味しかった。
明日痛風になっても今ここでこれだけは食べておこうと思うようなものでした。
でもここは焼酎でしょう。濃い目のウーロン茶に氷をたっぷり入れて爽やかな麦焼酎をたらして、それが無ければ安物の甲類焼酎でもいい、ガラガラガラと掻き回してぐいぐいやりたかった。
そのくらいジューシーで濃厚なものでした。
でもワインも美味しかったけど。

また、仙仁温泉は今回はお茶を飲みに行っただけでしたが、温泉の池で泳いでいる鯉がやけにトロンとしていたのが印象的でした。
十数年前に人に頼まれてデザインした香立がどこをどう巡ったかは知りませんが、知らない窯元の製品としてお土産コーナーで販売されておりました。
小林陶春先生の工房は陶芸教室を兼ねていて、何十台も停まれる駐車場があって、建物もいくつもあって、敷地の中に小川が流れていて、そこでお孫さんが水遊びをしていて、陶芸教室の他に予備の陶芸教室用の建物があって、1階と2階にある工房のそれぞれがうちの工房より広い。
そしてオマケに小林陶春美術館。
こういう方を陶芸の専門用語で「資産家」と言っています。
小林先生がポツリと一言。「もう一人娘がいるんだよ。だれか陶芸の出来る人がいいな。一緒になってうちに来てくれないかな。」
その娘さんって先日ちらりと会場に来てくれたあの超美形のお嬢さんですよね。しまった~!生まれてくるのが15年早すぎた。

長野東急の展覧会は6月6日まで行われています。
どうぞよろしくお願いします。

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2007年5月30日 (水)

「つくる陶磁郎」39刊発売のお知らせ

「つくる陶磁郎」39刊が発売されました。
テーマは「前人未踏!究極のロクロ」。
お気付きの方も多いでしょうが、今回からDVDがオマケに付くのだそうで、若干値上げをしておりますが、その分気合も入っているようで、5月27日の朝日新聞朝刊にバーンと結構大きな広告を出していました。

私が担当させて頂いたのは、「三日で上達!ロクロ独習マニュアル」の全12ページです。
編集の方が取材を申し込んでくる時に私の頭の中で、まあ大体こんなことを求めているのだな、こういうところを見てもらえばいいだろうと、すぐに想像出来る企画と、そんなことは無理だろうと暗に断ってみる企画がありますが、さすがプロの編集者というのはすごいもので、本になった時には無理だろうの方がインパクトがあるような気がします。

今回も3日でロクロを上達させるという、無理だろう企画でしたが、実験に協力してくれた高山志津子さんのがんばりのお陰で、なんとかまとまりました。
記事の中にはのべ21時間で158個作って、39個削ったうちの12個削りが完成したと、書いてありましたが、 この時間の中で撮影をしながらでしたから、正味ロクロに触れていた時間は半分くらいかも知れません。
本当に飲み込みが早いいい生徒さんでした。

そしてロクロの上達のためには菊練りが必要なわけで、よく陶芸教室の先生は空気が入っているとロクロが挽き難いとおっしゃいますが、それよりも粘土の中のねじれ、と言うか横文字でフレアと言うのですけど、それをロクロの回転に逆らわないように整えるのが、第一の目的だと思います。
つまり菊練りが出来なければロクロは上手にならないので、そこの部分は時間を掛けてしっかり撮影したつもりなのですが、今回はカットになっていました。
なんだか別の企画の時に出てくるような気もしないではない。
さっそく今日の午前中、友人の陶芸家Tさんから「いやあ、小山さん見ましたよ。面白かったねえ。なんだっけ、あの・・・つくる陶工房?」 ・・・オイオイ。

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2007年5月29日 (火)

新作陶芸展始まりました。

新作陶芸展始まりました。
正午からオープニングパーティーを兼ねた表彰式が行われ、受賞者と関係者、それから出品している作家が30名余り集まって真昼間から和気合々とビールなど頂きました。
受賞者の高橋誠さん、佐伯守美さん、鈴木量さん、和田的さんはいつもお会いしておりますが、もう一人の織田阿奴さんとは初めてお会いしました。
私は公募展に出品し始めた頃、なんでもかんでも見境無く挑戦してみようと思って、公募と名が付けばエントリーしていた時期があります。
この頃似たような人が何人かおられてどこの公募展でも作品同士が一緒に出品される、という、なんていうんでしょうね、作者同士はまったく知らないのですが、作品同士が勝手に友達になったという人の一人です。
私はレセプション等に出てきても良いと言われれば、なるべく必ず出席するようにしていたので、たぶん織田さんはあまりそういうものに出席されなかったのではないかと思います。
そんな訳で、なんだか気難しい人なのかと勝手に思っておりましたが、全然違いました。
むしろ、いつもニコニコしてお話の上手な方でした。
時間も無くあまりお話できませんでしたが、またお会いできる時が楽しみです。

受賞式そのものは、一時半ごろ終わってしまったのですが、もう飲んじゃったので帰っても仕事は出来ず、真昼間から飲み屋に行くわけにも行かず、行き場を失った20名の陶芸家が特別食堂で何のつまみも取らずにビールばかりをガバガバ飲んで、5時まで居座ってすみません。
その後、有志で日本橋の「吉」に移動。
佐々木ママさんに「あら、久しぶり」と言われてしまいました。
と言うのも昨日の陳列の帰りにここに来て、開店から終電まで3人で焼酎のボトル一本半飲んでおります。
今日も開店から押しかけて2日間48時間のうちの15時間ずっと飲みっぱなしな人生でした。そんな資金源がどこにあるのかと疑問でしょうが、高橋誠さんの賞金がそっくりそのまま転用されたのを確認しました。

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2007年5月28日 (月)

新作陶芸展陳列

日本橋三越で行われる新作陶芸展の陳列に行ってきました。
通称、部会展とも正会員展とも呼ばれるこの会は日本工芸会正会員なら誰でも審査無しで出品することが出来ます。
約600名の正会員の中から300点あまりの出品がありました。
審査を経ないので、公募展向きの作品というよりも、普段作っている個展用の作品や茶陶なども出品される方がいて、これはこれで面白いものです。
お茶の先生などは、茶碗から水指、香炉などお茶の道具が一同に見られる展示会はあまりないから楽しみにしている、とおっしゃいます。

一時に集合して、十数名で陳列しました。
三越本店新館7階の会場は今回が初めてです。
前回までは同じ7階の本館の方で行われていました。
新しい会場はとても見やすくて良いのですが、人間国宝や審査の人たちの作品を飾る、いわゆるメインの場所が決めにくいのが難点でした。
特に見難い場所というのは無いから、反対に見やすい場所というのも無くなってしまいます。
今年は展示台のレイアウトを工夫していかにもここがメインです、という場所が作ってあったので、スムーズに行きました。
それにしても、この催し物場が出来て以来、毎回毎回お客様を呼べるイベントを企画する担当者のすごさ。
他の用事でこの会場の前を通っても、いろいろな世界の、失礼ながらまったく名前を存じ上げない人の展覧会で人が並んでいたりするのを見ると、いろいろな世界があるんだなあ、と感心してしまいます。
さらにその展覧会を企画して、催す立場の人というのは世界中にアンテナを張るのが仕事なのでしょうね。
私たち工芸家は自分の仕事の内側ばかりを見つめ勝ちですが、もっと広い世界を見るようにした方が良いのでは。
新しいお店が出来たらまずは飲みに行くのも仕事。
と、いうことにしておきましょう。

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2007年5月27日 (日)

陶工房45号発売のお知らせ

誠文堂新光社から出版されている陶芸専門誌「陶工房」の45号が発売されました。
約4年前から連載させて頂いています。
当初は「電動ロクロで作ろう」というテーマで始まりました。
途中から担当者が変わり装飾加飾の方にも力を入れて行きましょうという方針でやっております。
前の担当者には、私が不慣れだったこともあってか、「誰が読んでも分かりやすく専門的に成り過ぎないように。小山さんの工房だけで上手くいくんじゃダメなんですよ、これを読んだ人が世界中どこでも再現できるようにしてください」とアドバイスを受けていました。
今の担当者は、放任主義というかまったく思った様にやらせてくれますので、気が楽でもあり不安でもあります。
なるべく読者にご理解いただけるようにしているつもりでも、本が出た後に素朴な疑問質問が電話やメールで来ることがあって、その時になって、ああこれも説明しておくべきだったと反省します。
今回は「ホタル手」の一回目です。
穴を開けた部分に詰める釉薬はものの本によると「粘土を混ぜて粘りを持たせよ」と書いてあり、私も当初その様にテストを始めましたが、むしろそれよりも流動性が高く透明感がある釉を使った方が良いのではないかと思い、本の中でもバリウム釉を使っています。
一般的な透明釉の調合にバリウムを10%ほど混ぜましょうと書いてありますが、読者の方が棚板を汚したり、釉に貫入が入ってしまうのを恐れて控えめに書きました。
本当は20%以上入れてあります。
普通の磁土だと貫入が入ると思われますので、土の方にも石灰3号釉を少し入れることで収縮率を調整しています。
向こう側が透き通るホタル手はすごく面白いと思います。
個人的にも大好きです。
中国の安物の器のイメージが強いのを何とか払拭したい。

そもそもホタル手の歴史は古く、平凡社の陶磁大系48巻「ペルシャの陶器」のNO56には12世紀の作品が載っております。
また池袋のオリエント美術館でも、もう少し新しいものを所蔵しているのかしら、たまに展示されております。
教室のお客様からホタル手の穴のところに色が付いたらきれいでしょうねと、言われていくつか工夫した結果、上絵の具と組み合わせるのが良いと考え、こちらの方は次号で紹介される予定です。

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2007年5月26日 (土)

中国の土鍋から鉛が・・・

テレビニュースで中国産の土鍋から鉛やカドミウムが検出されたことが紹介されていました。ニュースの映像を見る限りでは、消費者の方が鶏肉を30分煮込んだそうで、その時のアク等が内側に付着して汚れているように見えました。
確かに鉛を使えば、釉薬の融点が下がることが知られていますが、低く見ても600度ぐらいにならないと、鉛が何か他のものと化合して色が付くということは考え難い。
そもそも鉛自体には色はなく、顔料との併用で色が付きます。
カドミウムに関しては、普段からあまり使わないので、コメントの仕様もありませんが、上絵の具の黄色を発色させるために、少量添加することや亜鉛の変わりに使って釉薬のピンホールを防ぎ掛けムラをなくし、光沢を出す働きがあるとは聞いております。

いずれにしても、現在の食品衛生法の基準値というものが、常温(20度)くらいでテストすることになっているので、火にかける土鍋等にはあってないようなもの、というのも事実です。
陶土は低温で焼いた方が膨張、収縮に耐え、直火にかけやすくなるので、なるべく低い温度で、釉を溶かそうとするのも、理にかなっています。
しかしながら、鉛が溶け出すのは、気持ちが悪いですね。
やはり1250度の高温で鉛などを使わない土鍋の方が安心です。
この温度だと、直火に掛けられるようにするために、あまり焼き締まらない、粒子も荒い粘土が土鍋土として市販されています。
それ以外に、いわゆる土鍋っぽくない直火に掛けられる土もあります。
私の知る限りでは、九州の松貢陶土で販売している「耐熱磁器土」です。
普通の土鍋の土と違ってキメが細かく色も白めで本焼きの釉薬をそのまま使える面白い土です。
いわゆる土鍋の厚くぽってりした、鍋ではなく、違うイメージの耐熱陶器を作りたい方はお試しください。松貢陶土の連絡先はこちらから。

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2007年5月24日 (木)

日本工芸会総会

日本工芸会総会は上野公園の日本芸術院で行われ、無事終了しました。
と言っても、今年は役員の改選等がない年でしたから内容は主に事務局による会計報告でした。
2007年7月19日から10月21日まで、イギリスの大英博物館にて「わざの美」展が開かれます。日本工芸会を代表する作家111名の112作品が展示されるそうです。
これに伴い工芸会から約800万円の予算が必要ということで基金の一部をこれに充てるという報告がありました。
展覧会に伴いオープニングセレモニー参加ツアーが紹介されました。
7月16日~23日まで8日間です。興味のある方は株式会社三越日本橋トラベルセンター営業部(℡03-3274-4655)に連絡して下さい。

その他特に大きく動いた点は気付きませんでした。日本伝統工芸展の出品者数が若干減少しているようで、懸案になっていました。
経済成長の右肩上がりの中、仕事をしてきた先輩方のなかには、ずいぶんと気になっている方もいらっしゃるようです。
しかし人口が現状していくことが確実ですので、現状を維持するためには興味を持ってくれる人の割合を増やすことが必要です。
当日も総会の後、広報担当の人たちが集まって会議をされていたようです。

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2007年5月19日 (土)

東洋陶磁学会総会

東京芸大で行われた東洋陶磁学会の総会に行ってきました。
以前もこのブログでご紹介したように、数ヶ月前に始めて会費を払い込んだばかりの新入会員の私としては、どんなもんだろうという好奇心からの出席です。
さすがにこの人達みんな頭がいいんだなあ、と思うところが端々にありました。
役員の方が専門外の会計報告なんかをしているところでも、そこらへんの中小企業の株主総会よりもパリンとしているような気がいたしました。
総会に付随して講演がいくつか行われましたが去年までは学会のお偉いさんの記念講演という形であったようですが、今年は外国のシンポジウム等に出席した方の報告という形で4人の方が講演をなさいました。
こういう学問を研究される方は陶磁器の研究をしている人の研究をしているんだなと、感じました。
それぞれとても興味ある面白い講演で、陶芸作家ももっと出席したらいいのにと思いました。特に青磁、天目などの仕事をされている方はずいぶん勉強になるのではないかと・・・。
3番目の講演で慶応大学大学院の金立言さんが、2004年に発見された鈞窯の作品について中国研究家がまとめた資料を説明して下さいました。
鈞窯といえば、有名な中国五大名窯のうちの一つ、つまり宋代の官窯です。
しかし新しく発見された鈞窯の窯からは今までに見られなかった、水注や高足杯の形があり、特に水注は胴体に栗の形の文様が入っており、形の特徴からすると明の時代に作られたものらしいという報告がありました。
これにはすぐに出席者から「それでは、鈞窯は明の時代のものなのですか?」という質問が出ましたが、そうではなくて宋、元、金の鈞窯を否定するものではなく新たに明の鈞窯が確認されたとの報告でした。
また、1974年の調査では公にされなかった、鈞窯で低火度釉の作品が焼かれていたことが報告されました。低火度釉といっても、写真の感じでは鉛系の釉ではなくてアルカリ系の銅を使ったいわゆるトルコブルーという釉のように見えました。

そして「練り上げ」の技法は、古くはやはり宋代の磁州窯にあると言われていて、日本でも写真を見る機会がありますが、ここでは鈞窯で出てきた練り上げの作品の写真が公開されていました。
練り上げをやっている人はぜひ、セールストークの中に加えて頂きたいものです。

この研究については、まだ3年を経ているだけで調査が続いているとのことですからこれからどんな新事実が出てくるかは分かりません。楽しみですね。

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2007年5月18日 (金)

一水会陶芸部部会展

10年ほど前から一水会陶芸部公募展に出品しております。
その間、3回賞をつけていただき、昨年会員に推薦されましたので、会員になったようです。
なったようです、というのはまだ会費を払っていないし(請求がこないから)申込書のようなものも書いた記憶がないのですが、今年初めて「ながの東急」で行われる一水会陶芸部会員展に出品しませんかと、声を掛けて頂いた事で、ああやっぱり会員になったんだと、実感しました。
お世話になっている業者の方に、会員になったからには新人としてなんでもやりますと、答えましたところ、さっそくお客様へのプレビューを含めた作陶会や会場当番などが回ってきました。
そういうわけで、長野に行ってきました。失礼を承知で申し上げますが、長野の知り合いが「長野には文化人が多いのに、文化も歴史も十分にはないのです。城下町なら良かったのでしょうが、門前町というのはどうにも地味でね。お坊さん真面目だから」と言われていたのが、その通りだと思えるようなところでした。
町はこじんまりとまとまっていて、東京と同じようなビルが乱立しておりますが、その向こうに山がある。
360度どっちを向いても山がある、ような感じがしました。
それでも志の高い飲み屋に連れて行って頂き、長野の長い夜を楽しく過ごしてまいりました。
ギター生演奏によるカラオケなんて(カラオケとは言わないか)、銀座だったら一曲一万円でしょうが、ここはボトル一本で歌い放題です。
長野、いいところです。
一水会陶芸部部会展は、5月31日から6月6日まで、ながの東急百貨店シェルシェ4F美術サロンにて行われます。
出品作家は、徳田八十吉先生はじめ、敬称略で佐伯守美、武腰潤、新藤晋、米山央、筒井辰也、塚本治彦、地元作家からは小林陶春、そして私小山耕一。
これじゃあ、誰がどう見ても、会場当番は当たり前ですよね。
むしろ会期前半でカンベンして頂いたことに感謝です。

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2007年5月14日 (月)

日本陶芸倶楽部創立40周年記念

日本陶芸倶楽部は東京原宿の東郷神社境内にある老舗の陶芸教室です。
陶芸教室というよりは陶芸専門のカルチャースクールと言った方が良いかも知れません。
都内の陶芸教室の中では一番規模が大きいでしょう。
私は約8年間日本陶芸倶楽部に勤めておりました。
十数年前に退職しましたが、退職金まで貰って円満退社しましたので、創立40周年のパーティーに出席させていただくことが出来ました。
会員である財界の大物をはじめ、陶芸家の大物も多数出席していました。

あれれ、向こうのテーブルに神谷紀雄幹事長の姿もあります。
ところが今日は伝統工芸新作展新潟展の搬入じゃあなかったけ?
こんなところでパーティーしていていいのかしら?
まさかお忘れってこと、ありますかね。
と思っていたら、途中退席されて新潟に向かわれたとのこと、ほっと一安心です。

日本陶芸倶楽部では本当に勉強させていただきました。
ここでは週に2回窯を焚いておりました。
しかも酸化と還元3通りの、4窯。
一つのテストピースを作ると、3日後には4通りの焼き上がりが見られます。
面白そうなやつに手を加えると、また3日後には4通りに焼きあがってくるということは、釉や土のテストをしている人にとってはたまらない環境です。
普通テストしたい調合に対して窯の数が少ないですから、一窯にたくさんのピースを入れることになりますが、日本陶芸倶楽部では窯はいくらでも焚けますから、一窯に一つはテストピースを入れようと思ったら、結構忙しかった。
でも、本当に勉強になりました。
40周年おめでとうございます。

パーティーの後は桃山陶をテーマにしたシンポジウムがありました。
竹内順一先生の司会のもと、林屋晴三先生、作家から鈴木蔵先生、そしてアマチュア陶芸家代表の長唄の家元、今藤長十郎先生のディスカッションでした。

なにしろ午前中のパーティーでビールだのシャンパンだの飲んでしまいましたから、心に残ったことは、林屋先生の本阿弥光悦の話でした。
光悦は陶芸家というわけではなく、アマチュアというか、今でいうデザイナーという立場の人ですから、やきものを焼くノウハウは楽家に委ねていたらしいことを話して下さいました。
楽家の方に茶碗4個分の粘土を持ってきて、などという注文書があるのだそうです。
また、膳膳(ぜぜ)焼も関係しているかもしれないということでした。
その他、見立てと創作の話も面白かった。
花を活けるために花入を作るのは創作で、そこらへんからひょうたんを拾ってきて花を活けるのは「見立て」です。
窯の中で割れてしまったと思われる伊賀の「からたち」や信楽の「破袋」などもどちらかというと見立てのうちだそうです。
現代のお茶の世界にこの「見立て」が少ないことを憂いておられました。

また、茶碗の値段という現実的なお話もしておられました。
鈴木先生の志野にしても、当代の楽先生の茶碗にしても、お茶人が手に入れるには高価なものになってしまう。お茶や陶芸の世界だけでなく、流通、経済という世界の人たちが妙案をだして20万から30万でいい茶碗でお茶が飲めると、お茶の世界ももっと盛んになるだろうということをおっしゃっていました。
道具を手放す時の、価格が手に入れた時と大差なければ、思い切って手に入れることも出来るけれども、現実では以外と安くなってしまうので、市場を整備することも大切だ、とのご意見です。

鈴木先生の話の中で印象に残ったことは、若い頃「卯の花垣」の高台を見た時、「ここまでせなならんのかなあ」と思ったが、加藤唐九郎さんの書いた文章に「卯の花垣の高台は50歳にならないと分からない」とあったから、その場は納得したと言っておられました。
50歳になった時どう思ったかという話はなさりませんでしたけど。
やけに50歳というのが印象に残っております。
私もあと3年で50歳ですから、楽しみです。

日本陶芸倶楽部の会員による作陶展は5月21日まで、日本橋三越で行われています。
チャリティー展ですから、40年かけて純益を寄付し続けまもなく2億円に達するそうです。

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2007年5月13日 (日)

織部忌の茶会に行ってきました。

何の根拠もないのですけれども、45歳になったらお茶の先生につこうと決めていて、いろいろ調べたところ、織部のお茶にとても興味を持って習えるところを探していました。
ところがなかなか見つからず半ば諦めかけていたところ、ひょんなことからお稽古できることになって嬉々として通っています。
そんなわけで年に一度この時期に行われる織部忌の茶会に行ってきました。
場所は上野の東京国立博物館の裏庭、というかそういう場所があって、応挙庵、九条庵、転合庵の3席です。
最初に応挙庵の濃茶席。
天目を使ったお手前でした。織部流では天目の手前は比較的ポピュラーなものです。
武家の茶道ですから、全体を通じて「暗殺」「毒殺」について神経質になっているところがあります。
例えば、お辞儀をする時に同門の方と他流派の方はすぐに分かります。
織部流では丁度お相撲さんが仕切りをするときのように、手の指の甲ををついて挨拶します。これはお辞儀をする時に、相手から視線を逸らす時、短剣等で手の指を切られるのを防ぐためだそうです。
また、濃茶でも回し飲みはせず、茶碗、水指等の道具を直接畳の上に置かない、など衛生的と言えばその通りです。
天目茶碗のフチに金、銀等で還が巻いていることがありますが、これは見た目にきれいだからとか、口元が欠けるのを防ぐ為、という理由もあるのでしょうが、一番の目的は毒物の検知のためだそうです。
400年前に青酸化合物等は簡単には手に入らないでしょうから、毒といえば砒素ということになります。
砒素が入っているとそのまわりにある銀はすぐに黒く変色すると言われています。
また、金色に見えるものも今の言葉で言えば18金くらいかな、20%ほど銀を含んだものですから砒素には反応すると思われます。もちろん純金ではまったくこの変化は起こりません。
今日の道具のしつらえの中では、金属の水指の内側に金が貼ってありました。
また、織部好みの六双の屏風は棚をぐるりと回すと完全に囲えてカギが掛けられるようにできていました。

2席目は九条庵で四方棚の手前。
その後もう一席、転合庵での席にも入りたかったのですが、教室の仕事があるため、ここでタイムアップとなりました。

午後からは新構造展工芸部長の平沼土史彦さんが見えました。
新しくこの展覧会の工芸部長になられたそうで、工芸部門を盛り上げていきたいというご意向をお持ちのようです。
なんとか出品者を増やしたいとのことで、挨拶に見えたようです。
平沼さんは、私の大学の4年先輩。
きちんと卒業されましたから私にとってはOBの先輩ということになります。
私が受験の時に弁当を持参するのを忘れて、その時試験監督をしていた平沼さんが受験会場から退出できない私のためにサンドイッチを差し入れしてくれたことを覚えています。いわば、命の恩人ですので、どうぞこの、新構造展に出品してみようかと思われる方がいらっしゃったらよろしくお願いします。
新構造社のHPはこちら
今年の搬入は6月3日、4日ですから、手持ちの作品があったらふるってご応募下さい。
それほど大きい作品である必要はなく、器でも、オブジェでもOKだそうです。

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2007年5月11日 (金)

展覧会に行ってきました。

日本橋三越で行われている展覧会を三つはしごして来ました。

最初は伝統工芸日本金工展。
私たちは金工部会展とも呼んでいます。
金工の作家による部会展ですが、秋の日本伝統工芸展とはちょっと違って面白いのです。
というのも、杖頭(杖の取っ手の部分)とか特に用途のない鳥の形をした置物とか、また小品販売のコーナーもあり、そこにはペンダント、風鈴、ちゃっとした名前はなんて言うんですかね、仏壇にある例の「ち~ん」です。
そういうものが並べられていて、よそ行きでない作家の普段の品物が見られたことは良かったです。

私の先輩の鹿島和生さんが受賞されていました。
おめでとうございます。
先輩とは言っても、鹿島さんは地元の小学校、中学校の一年先輩です。
朝礼の時に、美術展に絵が入選したりしてよく賞状を貰っていたのを覚えています。
鹿島さんはおじいさんが人間国宝でお父さんが画家という芸術一家です。
私も小学校の頃、お母様が開いていらした絵画教室に通っていたことがあります。
ある時、画用紙に色のクレパスで何かを描いて、あまり気に入らなくて白いクレパスでその上を塗りつぶしてしまおうとしたら、色がぼやけてなんだか素敵に見えたのでそのまま提出したところ、鹿島さんのお母さんにすごく褒められたことがありました。
次の週にまた行って、また同じようなことをしたら、同じことを2度してはいけないのよと、今度は怒られた記憶があります。

二つ目の展覧会は、峯岸勢晃作陶展です。
二重貫入の青磁を得意としている作家です。
この釉薬については亀甲貫入とか氷裂貫入とかバラ貫入とか、いろいろな呼称がありますが、二重貫入というのが的を得ていて定着してきたように思います。
読んで字のごとくで、窯が冷める時に一回目の貫入が入った後もう一回時間をずらして貫入が入る。
1回目の貫入は生地(粘土)よりも釉の方が縮むために入る、いわゆる普通の貫入ですが、2回目の貫入は釉薬はもう縮みきっているのに生地はもう少し縮もうとするひずみからくる斜めに入る特殊な貫入です。
これが光を乱反射して亀の甲羅状の模様を作ります。
斜めに入るといっても角度は80度ぐらいでしょうか、割ってみればすぐに分かります。
ところが峯岸さんのはもっと強い角度に入っているように見えます。
そこが、見せ所なのでしょうが、私がこれまでに見たことがある二重貫入の作品の中でも特にレベルが高い美しいものだど感じました。

貫入の話をもう一つ。
青磁の貫入に着色するとよく分かるのですが、鶴首の首の辺りに斜めに貫入が見えます。ほとんどの青磁作家の場合は右肩下がりに入ります。
これはロクロをひき上げる時に時計回りに回している人の貫入です。
宋代の青磁の作品はほとんど全てが右肩上がりになっています。
つまり時計とは反対方向にロクロをひき上げていたと思われます。
峯岸さんの貫入は右肩上がりなんですよね。
本人に聞いてみたらやはりロクロは時計と逆回りでひき上げているそうです。
青磁をやるために練習したんですかと聞いたら、そうではなくて偶然最初に習った先生がこっち回りだったから、とおっしゃっていました。
峯岸さんラッキーですよね。右肩上がりの貫入はなんとなくカッコイイというか、縁起がいいではないですか。
いまからロクロを習う人で、将来は青磁の道に進もうと思われる方は日本で時計と逆回りのロクロが習える学校は沖縄芸大、弟子入りするなら丹波にこちら回転の作家が多いですよ。もっとも、日本以外、中国や欧米では時計逆回りが主流です。

三つめの展覧会は和太守卑良作陶展でした。
個展の度に新しいテーマを取り入れるという試みをされていて、今回は「染付け」でした。
白い磁器の素地に不思議な模様が入っていました。
前回のテーマは確か色絵でした。
色絵の展覧会の半年くらい前に一緒にお酒を飲んだ時、「今度の展覧会、初めて色絵を出すんだけど、色絵ってどうやってやるんだ?赤絵はやったことあるけど、色絵はやったこと無いんだよ。まあ、なんとかなるだろう。」とおっしゃっていました。
謙遜しているのかと思ったら本当らしかった、と色絵指南をしたという人が言っていました。
それでも何とかなっちゃうところが、実力ですね。手馴れた作品もいいけれど初めて扱う新鮮な感覚をそのまま表せるというのはすごいことです。
先生はご不在でした。

PS/日本工芸会正会員の山上憲一さんがなくなられたので、陶芸部会のご霊前をご遺族にお届けしてきました。奥様とお話出来ました。最初渋谷のガレージで作陶を始めたところ、当時近くに住んでいらした原清先生が訪ねてみえて、「間違いなく日本一狭い作業場だ」とおっしゃられたことを面白おかしく話してくれました。熱海の仕事場はそのままになっているそうで、将来娘さんが使うかもしれないということで残しておくそうです。野暮な私は電気窯の契約だけは使わない間、切っておかないともったいないです、と申し上げて帰ってきました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2007年5月 7日 (月)

陶芸部会研究会が行われました。

日本工芸会東日本支部陶芸部会の研究会は20年ぶりだそうです。
陶芸部会は、人数が多いのと在住地域が広すぎてこういうイベントが難しかったというのが現実的な問題でした。
笠間とか、益子といったある程度作家が集中しているところでは、地域ごとに研究会が行われておりました。
そういうわけで、ものめずらしさもあってか、50人余りの方が参加してくれました。
一時に国立近代美術館に集合、受付で会費1000円を払うと、2つのグループに分かれ行動しました。
私が入ったグループは名前がア行からタ行までの作家達だそうで、あらかじめ近代美術館所蔵の作品の中から見せて頂きたいものをリクエストして、それを鑑賞することになりました。
出ていた作品は以下の通りです。

富本憲吉(敬称略)の白磁面取りの蓋付壷、小ぶりな羊歯文の赤絵金彩の壷と染付の組皿数枚。
加守田章二の長角皿。
ルーシー・リーの花器二つと碗一つ、パートナーだったハンス・コパーの小品。
江崎一生の第16回日本伝統工芸展に出品した大皿。
現役作家である小野寺玄氏の1970年代の第4回日本陶芸展の受賞作品。作者も出席していて「僕がリクエストしたの。」とのことですが、本当でしょうか?
日本陶芸展受賞の後、好事家の手に渡っていた現品を近代美術館が後に手に入れたものだそうです。
それから、当代楽吉左衛門さんの茶碗と限りなくオブジェに近い水指でした。

作家の皆さんが興味を持っておられたのは、富本憲吉の八角壷の内側がまん丸だったこと。
その結果、面取りをしてもかなり重量感を感じました。

また、同じ富本の染付けの皿に呉須が釉に溶け込みきらず、飽和してしまってギラギラ結晶になっているところが見受けられました。これについては、染付けの仕事をしている伊志良光氏の方から「呉須が濃いところはこうなるんですよ。手描きだから出るのが当たり前で、むしろ文様を効果的に引き締めている。」という解説があり、一堂納得。

次に2階の岡部嶺男展に移動。企画展なので、全ての作品というわけにはいかず、近代美術館で所有しているものと、所有者の許可をいただけたものを手に取って見せて頂けました。
特に青磁のコーナーでは、青磁の仕事をしている浦口雅行氏が「この米色青磁の茶碗、茶溜まりのところが還元になって、青くなっているでしょ。これは高台の裏からガスが回るんですよ。」と教えて頂きました。
酸化、還元の影響を特に受け易い青磁の仕事を、薪窯で焚くというのは、改めて大変なことだと思いました。
先の日本陶芸展で、大賞を受賞した志賀暁吉氏、那須で青磁を焼いている峯岸勢晃氏などは明日から日本橋三越で個展だというのに、時間を割いて一生懸命見ておられました。
そういえば青磁の仕事をしている人が、顔ぶれの中に多いなあと気が付いたのは、このころでした。
まあ、当たりまえですけど。

現在益子在住の鈴木量氏は愛知県の出身で岡部さんの工房が徒歩5分ぐらいのところだったそうで、訪ねて行った時のことを思い出したように話して下さいました。
「日本橋高島屋での個展の前だったかなあ。岡部さんの工房を訪ねていったら、個展用の出品作なんてどこにもないんだよ。かわりに100種類以上の粘土が置いてあっておびただしい数のぐい呑(テストピース)がそこらじゅうに置いてあった。当時でもうぐい呑に数万円の値段が付いているんだけど、それをバカバカ割っちゃうんだよね。割らないと厚みが分からないから、と言ってね。」

なかなか貴重な話が聞けました。
もう一度近代作家の部屋に行ったら若い作家が「作品がリクエストできるなんて、しらなかったなあ。分かっていれば石黒宗麿みたかったなあ」とつぶやくと、それを聞いた金子賢治先生はちょっと待っててね、と言ってロウ抜きの鳥文の壷と黒釉の鉢の2点取ってきて下さいました。
鳥文の壷については、壷の内側の釉の方が光沢があり、中外別の釉を掛けたものか、ひょっとしたら焼きあがった後、フッ素等で加工したかもしれない、との感想が出ていました。

最後に皆で記念写真を撮って解散となりました。

その後は毎日新聞が入っているビルの地下に移動。
午後3時からという半端な時間でしたが、乾杯してしまいました。
3時から懇親会なんてしちゃっていいのかなと思いましたが、そこはさすがに陶芸家の集まり、みなさんいつものようにぐいぐいやっておられました。ひとしきりお酒も回ってお腹もいっぱいになって、表へ出たらまだ明るくてびっくり。
このまま有志によるカラオケ大会となりました。

本来休館日なのに陶芸部会研究会のために会場を提供して下さった金子賢治先生はじめスタッフの方々に心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

この研究会は本来は、会員でなくても参加できることになっているはずなのですが、だからと言って日本国民全員に告示することは出来ません。何らかの形で会員になって頂いている約300名への案内状を出したそうです。
もし定期的に研究会を行うことになれば、どこまで案内を出すか、とか、会費をどう取り扱うか、とか、解決しなくてはいけないこともないわけではないと思いました。

そんなことはさて置いても20年ぶりに研究会が出来たこと、これが大事です。

追伸:作品の正式名称については、確認しておりません。あしからずご了承ください。

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2007年5月 1日 (火)

無事個展終了しました。

銀座松屋で行われていた個展が何事もなく無事終了しました。
まず思ったことは、外国のお客様が多かったこと。
時期もあるのでしょうが、2年前より確実に増えていました。
定点観測の結果、約20人に一人が目に見える外国人、アジアからのお客様もいるでしょうから、実際はもっと多いでしょう。
今後銀座松屋で個展をなさる方は、プライスカード(松屋ではこう呼んでいる)に作品のタイトルと書く時、あるいは略歴を掲示するときなど、英語併記が良いと思います。
事実私も次回はそうしようと思っています。
印象に残ったのはフィンランドからいらっしゃったクンデマンさん(仮称)。
大きなスーパーマーケットの経営者一族の方だそうで、身なりの整った執事を連れて、日本の商業施設というものを視察なさっていたそうです。
本人はジョン・マッケンローみたいな(昔のテニス選手)風貌をした極めてフランクなお兄さんでした。金彩の鉢を買って頂きました。
ありがたいことですが、最初から最後まで、すごく色の強いサングラスを掛けたまま個展を見て、お決めになって裸眼で見て返品なんておっしゃらないで下さいね。

追伸:かねてからご案内している日本工芸会東日本支部陶芸部会の研究会の所要時間は午後1時から始まって、約一時間から一時間半とのこと。
従って、懇親会は3時から予約しようと思います。
ちょっと時間が半端ですけれども、人数も多いので、場所だけはキープしておこうと思います。

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2007年4月30日 (月)

お客様語録

【お客様語録その1】
「牡丹をね、活ける器を探していたのよ。ハガキを貰った時にこれはと思って見に来ました。思った通りね。これをいただきます。
一つの器に何の花でも入れられる人はすごいわね。
私なんか、不器用なのかしら。一つの器には一つの花。それしかイメージが浮かばないのよ。だから花の数だけ、器がいるの。もう何百も持っていますけど、全然足りないわね。
本当に使うのは、一つですけどね。選ぶのが楽しいの。引っぱり出して、眺めてそれで丸一日終わっちゃうこともあるのよ。」
Iさんには扁壷をお買い上げ頂きました。ありがとうございました。

【お客様語録その2】
「あっちの個展を見に来たんですよ。何日か前にね。
たまたま通りかかっちゃった。
その時は、決められなかったけど、また来ちゃったよ。
もう売れてたら諦めようと思ったんだけど・・・。
天目キチ○イなんだ。天目ばっかり集めているんだけど、高いんだよね。良いものは。
これは安いなあ。安いけど、高いなあ、僕にとっては。
まあ、いいや。銀行行ってくるから取っといて下さい。」

(・・・しばらくして戻って見えて・・・)

「今日旗日だね。銀行やってなかったよ。
カードを使えますか?
え?カードだと割引があるって?嬉しいなあ。
次回必ず案内下さいね。
もっと良いものを見せて下さい。楽しみだなあ。」

Sさんには天目茶碗をお買い上げ頂きました。がんばります!

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2007年4月26日 (木)

めでたく口座開設に成功しました。

かねてからお願いしていた、日本工芸会東日本支部陶芸部会の口座が開設できましたと、銀行から連絡がありました。
さっそく手続きに行くにあたって、会のお金を預かる口座だから公私の区別をきちんと付けよう。一円たりとも不思議なお金の動きを作らないと心に決めました。

ところが・・・・

窓口のタナカさんは私のことを覚えていてくれたようで、このように通帳ができましたと、見せてくれました。
「ところで、ご入金はいくらになさいますか?」と聞かれてしまいました。
もう何年も口座なんて作っていなかったので、最初にお金がいることを忘れておりました。
普通1000円とか一万円なんでしょうけど、一円でもいいですかと尋ねたところ、まったく問題はないとのと。
そこで、ポケットから一円を出して入金しました。
もう公の口座に「貸し」をしてしまった。
まあ、一円ならいいか、と思っていたところ、
「ところでキャッシュカードはどうなさいますか?」
「作って欲しいです。」
「分かりました。それでは手数料に1050円いただきます。」

口座が出来たお祝いにどーんと寄付金でも振り込んでやろうかという奇特な人がいたら、みずほ銀行千束町支店 普通預金 口座番号 177254 日本工芸会東日本支部陶芸部会 までお願いします。タイトルが長すぎるため、ニホンコウゲイカイヒガシニホンシブまでで入金できるようにしていただいております。

ちなみにキャッシュカードの暗証番号を公開することは出来ませんが、私が急に交通事故や心臓麻痺でぽっくり行ったらSK8番あたりを試してください。

追伸:5月7日の東日本支部陶芸部会研究会は会員でなくても有志の方なら出席できる、との事です。
会員にはハガキで案内が行っていることと思いますが、興味のある方は東日本支部の事務所まで連絡してみて下さい。連休になりますから、5月1日とか2日なら事務所にも誰か出ていると思います。また当日はこれまた有志による、懇親会があるもよう。

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2007年4月25日 (水)

環境を飲むんだよ

個展の初日です。
午前中はあいにくの雨でどうなることかと思いましたが、午後からはたくさんの方にお越し頂きありがとうございました。

いわゆる団塊の世代でしょうか、一人の紳士がふらりと会場に立ち寄り杯を買って頂きました。

「まずい酒のことじゃないよ。
上手い酒と出合った時に、この杯が必要なんだ。
酒を飲むんじゃない。環境を飲むんだよ。
気の合う人と、いい店と、辛い肴と、何もかもいいのに、
杯がダメだと悲しいでしょ。
銀座には案外そういう店が多いんだ。
だから僕はいつもこうして、杯を持ち歩いているんだ。
時には、徳利まで持っていくこともありますよ。
杯をポケットに入れといてごらんよ。町が2倍楽しくなるよ。
・・・・・・・
これに決めました。
持っていきますから、箱は要りません。」

私はお金を頂いて文化を学ばせて頂きました。

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2007年4月24日 (火)

明日から個展が始まります。

銀座松屋7階のアートスポットで私の個展が明日から始まります。
今日は搬入でした。
ボランティアで手伝ってくれたスタッフの皆様と軽く打ち上げをして(スポンサーはお客様)解散となりました。

搬入の途中で、申請中だった日本工芸会東日本支部陶芸部会の口座が開設されることになりましたと、連絡がありました。
明日の朝一で飛んで行かなければいけないところですが、個展にも飛んで行かなければいけないので、あさっての午前中に手続きに行きます。
陶芸部会会員の皆様、個人優先でスミマセン。

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日陶展に行ってきました。

今年の日陶展は画期的でした。
作品タイトルの下に土や焼成温度の表示があることにビックリしました。
この展覧会の出品者によるぐい呑展というのも同じ東京駅上の大丸で行われておりましたが、そちらには使っている窯のメーカー名が記されておりました。
もちろん窯が自作の人は自作と書かれています。実際に作る方の立場から言うと土や焼成温度については非常に大まかなものですが、鑑賞する人にとっては興味深い情報となるでしょう。
また、メーカーの名前が出ることについては、メーカー側からすると大変な宣伝になるわけで、この展覧会に入選する人には私がメーカーの営業マンだったら値引きその他のサービスを付けようとする発想が出てきてもおかしくはありません。

アマチュア陶芸家が多くなり、展覧会か鑑賞の場から勉強の場に移りつつあることは紛れもない事実です。
展覧会に行っても明らかに陶芸をやっている人が作る側の立場で鑑賞している人の割合が増えてきたように思います。
そういう人達の素朴な疑問に答えるという点では良いことではないでしょうか?
もしも作家の作品を買って頂けないとしても、デパートに来たからには夕ご飯のおかずでもお菓子でも、何も買わない人は少ないでしょう。
長い目広い目で見ると、陶芸展がデパートで開催される意味の一つにもなると思います。

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2007年4月22日 (日)

岡部嶺男展の講演に行ってきました。

国立近代美術館で岡部嶺男展に関する金子賢治先生の講演があるというので念のため行ってきました。
念のためというのは、同じ場所で東洋陶磁学会の唐澤さんの講演をほぼ同じようなタイトルで聴いたことがありますから内容も似たものになるのかなと思っておりました。
でも実際に講演を聞いてみると大きく異なるものでした。
唐澤さんの講演は展覧会の内側に深く解説していくものでしたが、金子先生の講演はどちらかというと外側に向けて、特に現代作家との関わりなどをスライドを交えて解説するもので、現代作家の末席にいる私にとっては興味深いものでした。

その後に催されると思っていた懇親会、およびカラオケにはもっと興味を持っておりましたが、残念ながら金子先生多忙につき欠席。
有志による懇親会となりました。
聴講者からの質問の中に岡部嶺男さんが、織部から青磁に移る必然があったのかと質問が出て、金子先生が理路整然と答えられていたのが面白かった。
私のような俗な陶芸家にとっては「青磁の方が儲かると思ったんじゃないかなあ」などと思ったのですが、そうではなくてこれこれこういう理由があるのだそうですが、その部分はすっかり忘れてしまいました。

失礼を承知で私の意見を述べさせて頂ければ、岡部嶺男さんはあと10年か15年青磁の仕事を続ける予定だったのではないかと思います。
展開のための習作が自身の作品として発表されていることは茶碗やぐい呑等にテストピースとしての記号が入っているというところから推測されます。
と言うか当たり前ですよね。陶芸家は自分の仕事はいつまでもこのまま続くと思っていますから。お酒の飲みすぎには気をつけましょう。

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2007年4月20日 (金)

出光美術館に行ってきました。

出光美術館で催している「志野と織部展」を観に行ってきました。
と言っても威張れることではなくて、あと2日で会期が終わる駆け込み見学ということになります。
志野の名品が一同に会しておりました。
不思議だったのは、私がやきものをやりたいと漠然と思って美術館めぐりをしていた頃、あそこで会ったあの作品がまったく変わらぬ姿形で、そこにあったことです。
もっとも400年前からこの世にあったものが30年くらいで変わるわけはありません。
人間の方が耐用年数ギリギリですが。

伝統工芸新作展の陶芸の監審査委員をしてくれた荒川正明さんが書いた解説文の中に興味深いものがありました。
「吊るし」文様に関しての部分です。
この吊るし文に関しては今までは干し柿であると説明されていたのを、なにか神社の悪霊避けの結界を示す飾りなのではないかと意見と、実際に神社に飾られている写真を比較しながら鑑賞することが出来ました。
展示物の中には一つの枝からひょうたんの実と吊るし文様が垂れているものもあって、これは植物っぽいなと思うものもありました。
私のお茶の先生(織部流の伊藤瑞友先生)も荒川さんの文章を読んで、その通りだと思いますと、申しておりました。

もう一つ気になったのは京都で大量に出てきた美濃の陶器や陶片が、土中に保管されたものが見つかって発掘したと新聞等で読んだ記憶がありますが、これがどうも、破棄されたものらしいと説明されておりました。
一体何があったんでしょうね。

出光美術館の入館料は1000円、図録代が2500円でした。入館料はともかく、図録は安いと思いました。約300ページのほとんどがカラー印刷で重さ1,4kg。これって原価割ってませんかねえ。さすがは出光、太っ腹。

次に向かったのは銀座のACギャラリーで行われている「ボタン展」です。
何人もの作家がのべ数百点のボタンを出品していると聞いて目がチラチラしそうだなと思っていたのですが、ボタンは一つ一つ名刺大のカードに留められていて、とても見やすく感じました。
出光美術館を見たすぐ後だったのですが、自分より若いというか、この世に長く残りそうな人の作品を見るのは楽しいことです。それにしてもこれだけの人がボタンを作っていることにビックリしました。私の知らないところで商圏があるのだろうなあと、思いました。

会場にいた作家の西村ゆう子さんは小さい作品ながら実用性とやりたいことのせめぎあいだと言っておりました。また、同じく出品作家の北出恵さん(以前はうちでスタッフをしてくれていた)にはカバンを作っている人からボタンを使いたいというオファーがあったそうで、上手く商談が成立するといいですね。

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2007年4月19日 (木)

ジュールとカロリー

何年か前に今後はカロリーという表示を止めて、ジュールという単位に統一することになったと新聞に載っていました。
その後しばらくは料理雑誌などでもジュールという表記が見受けられましたが、その後またカロリーに戻ってしまいました。
どうやら変更は失敗したようです。
「勝負あり!」と思ったのは、コカコーラのダイエットコークがノーカロリーという名前に変わったからです。
変更に失敗した理由はいろいろあるのでしょうが、その中に語感というのもあると思います。
カロリーというとなんとなくコロコロツルツルしていてエネルギーの源と感じますが、ジュールはなんだかべたべたしていてコレステロールが多そうに感じます。

表記の変更に成功した例としてはヘクトパスカルがあります。
ガス窯や電気窯でガス還元焼成を行っている方なら圧力計をお持ちのことと思いますが、ここに小文字でmbと書いてあったら、ミリバール。小文字でhpaはヘクトパスカルです。
私が15年前に導入した都市ガス窯には左右にミリバールの圧力計がついていました。
8年ぐらい前だったかな、片方調子が悪くなって取り替えてもらった時にはヘクトパスカルになっていました。
でも全然問題はありません。なぜかというと、1ミリバールは1ヘクトパスカルだからです。
これなら変更のコストが掛かりません。業者が勝手に取り替えるだけですから。

そういえば、「E電」というのもありましたっけ?

私は普段あまりコーラを飲みませんが、たまに飲むとすごく美味しく感じます。特に夏の暑い日に大きいカップに氷をたっぷり入れてコーラを入れて、安い焼酎を入れる(普通ラム酒だろ)、これをぐいとやると堪りません。
焼酎を入れないで飲む時には、ノーカロリーのコーラで良いのですが、焼酎を入れる時には従来の砂糖が入ったコーラに限ります。糖とアルコールは物質的に近しいものだからだろうなあと、勝手に納得し酒飲みの体にはカロリーがコロコロコロコロ集まって来ることになります。

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2007年4月16日 (月)

陶芸部会の口座

幹事にさせていただいた時に、先輩の高橋誠さんからこう言われました。
「組織の仕事なんだから自分で抱え込んじゃだめだぞ。あの人がいなきゃ始まらないとか、あの人に聞かなきゃ分からないとか、そういうのは困るんだ。誰から見ても分かりやすいようにして、いつ何どき誰かと変われと言われても、すぐに引継ぎが出来るようにしておくんだぞ。」
私もまったくその通りだと思いました。
ですから今回の研究会のための口座を作るに当たっても、分かり易く替わり易くしようと思いました。

ところが・・・・

まず郵便口座がいいのではないかと思いました。
日本中どこにもあって誰でも扱えるし、事務局からの送金も手数料が少なくて済むからです。
郵便局の窓口でこういう口座を作りたいと申し出たところ、この会の規約を見せてくださいと言われました。確かうちに「規程集」という小冊子があったことを思い出し、取りに帰ってそれを見せると、今度は別の担当者がなぜか嬉しそうに「無理だと思いますよ」と言いました。
彼曰く、すでに日本工芸会東日本支部が郵便局に口座を持っているため、陶芸部会の口座を新設すると、一つの事業所が2つの口座を持つことになってしまい、それは出来ないとのこと。
終始嬉しそうなのが気がかりでしたが、なるほど言われてみればそうですよね。

気を取り直して次はみずほ銀行へ・・・・・。

案内係のお姉さんに相談したところ、いろいろ説明をしてくれました。
丁寧に言葉を選んでおりましたが、大体概要は以下の通り。

近頃は振り込めサギ等の事件もあるので口座を新規に作る時には慎重に判断している。特に○○会という名前だけで個人の名前を使わずに口座を作りたいとか、個人の名前を使うにしても窓口に来たコヤマさんではなくて、カミヤさんという名前にしたいと真新しい三文判を持ってパンチパーマの男が来ても審査に通るかどうか分からない。むしろ小山耕一個人の口座に限りなく近い感じで名前のところに工芸会だの東日本支部だのオマケを付ける形にした方が良いのではないか、とのこと。

背に腹は変えられず住所も連絡先も私の自宅、申請した名前は「日本工芸会東日本支部陶芸部会会計小山耕一」という長い名前です。「会計」の部分は捏造しました。
窓口の担当の方が「入れた方が分かり易いのでは」と進めて下さったので、そのまま入れることにしました。

当初の志とはかけ離れた口座になりそうですが、今日はあくまで申請しました、というまでの段階。
本当にこれで通るかどうかは、数日後にお知らせが来るそうです。
うちに帰って高橋誠さんに電話したところ、「まあ、しかたねえだろ」とのことでした。

手元に残った新品の「神谷」の三文判、どうしましょう。

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