2009年6月29日 (月)

カツカレー

 2009年度の、日本工芸会東日本支部の総会が、上野の東京都美術館の講堂で行われ、無事終了しましたので、報告いたします。

 毎回のとおり、事業報告や会計報告などがあり、幹事選挙の方法を、若干変更する。という議案が通りました。これはいままで、かく部会ごとに幹事の定員を按分して、選挙で選んでおりましたが、「定款」では、「特別会員」にも被選挙権があるとしてあり、これまで通りのやりかただと、どの部会にも属さない「特別会員」には幹事になるチャンスが無かったのが、現状でしたので、今後は選挙の結果をふまえて、「総会」で幹事を推薦し、承認してもらう。という、手順を踏むことになりました。

 総会のあとは、毎回恒例の講演会です。今年、お招きしたのは茨城県つくば美術館の外舘和子先生。「伝統工芸とはなにか?」というテーマでした。

 「伝統工芸とは、これこれこういうものだ。にもかかわらずアンタたちときたら、まったくもう!」というお説教かしら?と思いきやそうではなく、日本工芸会や伝統工芸展の創世期の出来事、顛末を、分かりやすく解説してくださいました。

 この講演の内容については、東日本支部の会報に載りますが、私なりに印象に残った言葉をいくつか。

「伝統とは、思想であり、学問、芸術でもある。展開、発展していくものである。」

「伝統工芸の作家は、伝統技術が創造性に関係していると信じている。すなわち『伝統的な技術にかかわっていると、新しいことがみつかる』ことを知っている。伝統技術と創造が対立せず、セットになっている。」

「西洋人にとって、技術は手段。作家たる条件は、アイディアを提示できるかどうか」

(村上隆氏の言葉を借りる形で)「外国では、作家イコール大学の先生。アーティストの最終目的が、大学の先生というのはおかしい。」

 講演会が終わると、東京芸大構内の学食にて、懇親会。

 まだ4時だというのに、皆さんお揃い。問題は「大学構内なので、5時にならないとアルコールは提供できない」こと。これから一杯やるのに、お茶飲むわけにもいかないし、おつまみはどんどん出てきちゃうし、どうしよう?と思っていると、どこからともなく、「そろそろ5時じゃない?」「うん、だいたい5時だ。」「乾杯は5時にして。そのまえに乾杯の練習をしておいたらどうか。」ということで、なんとなくスタート。

 7時でお開きになっても、まだ外は明るく、上野公園を散歩しながら、不忍池のほとりにある「蓬莱閣」という中華料理屋さんへ、

 ここは、それほど高くなく、味も悪くなく、すくなくとも30年前からある老舗。なのにいつも空いている。50人や100人、予約なくても、いつでも入れそうな感じ。12人のオヤジがクラゲと、焼き餃子と、それぞれ冷麺食べて、ピール飲んで、紹興酒飲んで、約38000円。

 冷麺の麺なんか、ラーメン屋とは一味違う、比重の重い中華料理屋の麺で、どうしていつでもガラガラなのか分からない。

 ところで、話は変わりますが、有名なプロレスラーが試合中に事故で亡くなったのだそうで、真剣勝負かショウか。というヤボな話ではありませんが、すくなくとも「受け身のプロ」であるレスラーの事故に、目が留まりました。

 私は普段、プロレスは、見ませんが、これまでに一度だけ、会場で見たことがあります。それも30年以上まえ。高校生の時。

 隣のクラスに、S君というプロレスファンがいたのですよ。いつもスポーツ新聞やプロレス雑誌を読んでいました。スポーツ新聞は、エッチなページがあるので、学校には持ち込み禁止ですが、S君のはエッチなページが無い。つまり宅配用のもので、つまり定期購読しているわけです。

 ボクシングファンの私としては、面白くないので「八百長の試合を見て、何が楽しい?」みたいなことを言ったのかと思いますが、これが彼の琴線に触れたらしく「小山君は、生のプロレスを見たことがあるのか?無ければ見てから言ってほしい。」とおっしゃる。それもそうなので、「機会があったら見てみたい」「それでは、今日、これから行こう。」青春だから展開も早い。

 あとから知ったことですが、S君は日本国民ならだれでもご存じの、某プロレスラー(仮にG選手としておきましょう)のファンクラブに入っていて、高校生ながら、熱心に活動をしていたらしい。

 なにしろ古い記憶ですが、とても良いところで見たのですよ。それはもうすごい迫力。2人の大男が、チョップをかましあい、汗が飛沫になって飛び散り、それを受けたほうは「グエッ」とか「ブハッ」とかテレビでは拾えないうめき声まで、聞こえてくる。ピンチになった外人レスラーは、卑怯なことに、パンツのなかに栓抜きを隠し持っていて、それでG選手のオデコをグリグリするもんだから流血して、いるんだかいないんだか分からないようなレフェリーが、反則をとらない。試合の結果など忘れましたが、まったくコーフンしました。

 試合が終わって、S君が体育館の食堂に案内してくれて、そこで私が見たものは、信じがたいものでした。

 あのにっくき外人とG選手が、同じテーブルで、食事をしているではありませんか?しかもオデコに絆創膏を貼ったG選手が、外人に「あれも食え、これも食え」と、接待しているように見えた。外人はビールをたくさん飲んで、しまいには我々がビールを取りに行き、栓抜きはどこか?とキョロキョロしていると、外人がどこからか取り出して、「ああ、いつも持ってるんだ。」とヘンな感心をして、プロレスのことは「訳がわからないが、強烈で、面白い世界である。」と認識したのでした。

 G選手に「好きなものを注文しなさい。」と言われて、カレーライスを頼みましたが、出てきたのはカツカレー。「カツほうがいいからね。」

 このとき初めてカツカレーを食べました。辛口で、おいしゅうございました。

 以来、我が家で今晩はカレーであることが判明すると、カツを買いにスーパーへ。売り切れてると、車で大きなスーパーへ。配偶者に、「無ければあきらめなさいよ。アンタもしつこいね。」とイヤミ言われながらも、どうしてもカツカレーなんです。カツほうがいいですから。

 

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2009年6月15日 (月)

日本一

 まずは日本工芸会東日本支部の、仕事の報告から。

 6月12日、午後、常任幹事会がありました。神田の東日本支部事務所に集合して、総会に提出する議案について確認し、それを幹事会に懸けます。

 このへん、もう少し整理すると、この支部は年に一回、「総会」を行います。そこには支部の会員が、出席して(遠方のひとや、都合のつかない人は委任状での出席)議案を承認してもらわなくてはいけません。

 その「総会」に懸ける議案を「幹事会」という、会員から選ばれた37名の幹事さんが提出するのですが、さらに少人数の常任幹事が、草案を作って、幹事会に懸け、意見をまとめておくことになります。

 議案といっても、東日本伝統工芸展を含む、行事のこと。それに伴う予算、決算のことが、ほとんどで、今年は特に、展覧会が50周年のため、記念行事のぶんが、すこし上乗せされてはおります。

 常任幹事会のあと、幹事会が開かれ、あとは6月25日の「総会」を待つばかりとなりました。日本橋「吉」にて、上司の皆さんと軽く一杯。

 6月13日。7時50分発の「のぞみ」車中で、チキン弁当(800円。だが新幹線の改札のなかでは、違う会社が同じ名前のチキン弁当を850円で売っていました。聞けば新発売だそうで、チキンの味が2種類に分かれているのが特徴)をたべる私のカバンには、タオルや軍手、多めの着替えなどが入っていました。

 岡山駅で、待ち合わせをして、赤穂線に乗りかえ、「伊部」にて下車。駅の食堂にて、「備前カレー」をいただく。

 どうも村おこしで、「カレー」を備前焼の器で食べさせる企画を実践中のようで、スタンプラリーなどもあるようです。が・備前の器で、カレーを食べると、どうしてもスプーンがジャリジャリ鳴るのが気になるのは、わたしだけでしょうか?もっとも削られた鉄分が体内にとりこまれ、貧血の予防にならないこともないかもしれません。

 どのカレーもプロのフードコーディネーターが、噛んでいると思われ、盛り付けなどきれいに写真にしてありますが、カレーはヒネリが無いかな。私だったら「窯変焼きカレー」でいきますね。「窯から出てみないと、どんな味になってるかは分からない。同じ味は二度とでません。」くらいのことを言って、「胡麻」をふりかけ、トマトケチャップをライスのところに一筋たらして「緋襷」をイメージして、デザートは「牡丹餅」でどうかしら?いや、いっそのことカレーに牡丹餅入れちゃえ。旅行という非日常をトリップしている「観光客」には、そのくらいの刺激でいい。案外、美味しいかもしれないし。話題になってギャル曽根が食べてくれれば、あのひともプロだから「おいしー!」っていってくれるはず。観光客倍増、備前焼の売上2割増(やけに現実的)を目指そうではありませんか。

 妄想を膨らませていると「遠いとこ、良く来てくれました。」と、人間国宝登場。そうです。今回は伊勢﨑淳先生の「窯を焚くから、見に来てもいいよ」の言葉に甘えて、ノコノコやってきました。

 まずは駅近くの南大窯の跡を見学。長さが50メートルもあるこの窯は、備前焼の大量生産のためつくられた、3つの大窯のうちのひとつで、その窯跡に立つと、長さより太さにビックリ。約5メートル。耐火レンガがない時代にこれだけの大きな窯を作り維持する大変さは、分かる人にはわかるが、分からない人にはわからないでしょう。

 窯の勾配は、かなり急なもので、同行した学識者は、足をすべらせ、転んでしまいましたが、頭のいい人というのは転びながらも「バランスを崩したので、もはや修復は不可能。転ぶという現実は受け止めるけれども、つぎの段階として、どのように転べばダメージを最少にすることができるか?」と、瞬時に転びながら考えているのがよくわかる。怪我にいたらず、良かった。

 普段は崩れるのを防ぐため、エッジには土をかぶせてあるのだそうで、ところどころ露出しているところを見逃さないようにしましょう。

 先生のご自宅と仕事場を見せてもらい、近くの窯場へ。いまのところ820度でした。

 わたしなりに先生の窯について、解説させていただくと、

1 この窯は、先代の伊勢﨑陽山先生が作ったもので、山の斜面にあった古い窯跡のうえに、再現したものだそうです。

2 これは仕切りのない穴窯で、登り窯(仕切りあり)が主流だった当時としては、最初に再現したもので、現在では、40から50くらいの穴窯が、備前にある、とのこと。(地上、地下に関係なく、一室のものを、穴窯と称していました。)

3 勾配がかなりきつく、15メートルの長さでも、煙突はほとんどありません。

4 引きが強い。焚口からバーナーのようなボーボー音が常に出ていました。

5 この温度帯では、一時間に5度をめやすに昇温していて、あまり強い還元はかけないため、煙はほとんどでない。のだそうです。

 窯焚きは、お弟子さんがひとりずつ、三交代で焼くのだそうで、「備前の町を案内しますから」と、高級外車に乗り込んだ時点で、自前の軍手やタオルの出番は、無さそうな予感。わが工房のスタッフには「伊勢﨑先生の窯焚きの手伝いに行く」といってぬけてきたのに「研修」から「見学」へと、ランクを自分で下げました。

 備前の町にある会社や、公共施設にある、先生のモニュメントを見せていただき、「日本一の寿司を食べに行こう。」とのことで、車でしばらく走って、「ひさ田」という隠れ家風の店に到着。

 薬味をのせたり、あぶったり、下味がつけてある大阪系の握り寿司は、東京ではほとんど食べられません(回転寿司がほとんど)瀬戸内海の幸を堪能し、焼酎なんか飲んだところで、さらに「見学」から「見物」へとランクダウン。

 それでも窯場にもどると、証拠写真を撮るため、数本の薪をくべさせていただき、あついのなんの。この時点で、温度は850度。ハテ?こんなに熱かったかしら?と思っていたら、焚口の壁が薄いのだそうで、これは重労働ですね。

 伊部市内のホテルで一泊。翌日には、20名の学生の見学を受け入れ、彼らが帰ると、またつぎの「研修」候補生が到着。意気揚揚と窯場に向かうも、あまりの熱さにはやくもヘッピリ腰で、「見学」ランクへ、

 「どうじゃった?寿司はおいしかったかな?わしは日本一だと思ってるんよ。ああそうだ。寿司と言えば、北海道で食べたのもおいしかったな。あそこも間違いなく日本一だ。それからもうひとつ、柿右衛門さんといった九州の・・・なんというみせじゃったか?旨かったよ。あそこも日本一じゃ。」

 「・・・・・すると、先生。日本一がいくつもあることに・・・」

 「そりゃそうじゃ。日本一なんていくつあってもいいんよ。みんなそれぞれ、やってることが違うんだから、あたりまえじゃ。みんな日本一じゃ。」

 

 

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2009年6月 2日 (火)

一週間の唄

 「芸術の秋」と申しますが、確かに陽気が良い春と秋は、展覧会のシーズンでもありまして、我が日本工芸会東日本支部陶芸部会でも、今週は、伝統工芸陶芸部会展のお手伝いがありました。(分かりにくいですね。少しずつ説明します。)その他、個人的な用事もあり、日記風にこの一週間を、レポートします。

 5月21日(木)本部の総会

 毎年恒例の本部の総会が、上野公園の日本芸術院で行われましたので、いってきました。「本部」ですから、日本各地から出席者があります。今年は役員の改選がない年でしたので、午後から集合し、会計報告などのお話を聞いてきました。日本工芸会も法人制度の見直しで、今後は本部と支部の会計を連結決算にする。など、多少運営のしかたが変わるのだそうです。そのあとは精養軒でビールを飲んで、日本橋の「吉」へ。

 5月25日(月)伝統工芸陶芸部会展の搬入

 昨年まで「伝統工芸新作陶芸展」と称しておりましたが、今年から上記の表示になりました。もっとも関係者は「正会員展」と呼ぶことが多いです。約600名の日本工芸会陶芸部会正会員のうち約300名が、出品しております。公募ではないので、出品すれば選外はなく、必ず展示されます。審査は一応ありますが、これは賞を決めるためのものです。春の支部展、秋の本展とは違って大きさの制限があるので、全体的に手頃というか、実用的な大きさのものが並びます。また、茶陶の割合が多いのも特徴のひとつで、公募展には大皿、大壺をだしてこられても、普段は茶碗など作られている会員が多いのだろうと、思われます。この日も「吉」で打ち上げ。

 5月26日(火)表彰式と懇親会

 伝統工芸陶芸部会展の初日。日本橋三越本店「不二の間」にて、表彰式と懇親会が行われました。行われたのはよいのですが、問題は、まだ午後2時だというのに、ヨッパライ十数名が、飲み足りない状態で放り出されること。やってる居酒屋はないし、三越の特別食堂で飲み続ける資金も無い。こんなこともあろうかと、昨日のうちに、「吉」のママにお願いして「ツマミは持ち込むから、場所だけ貸りる。」という話が付いておりました。近くのセブンイレブンで、イカクンやカキノタネなど購入して、かってにビールの栓抜いて、宴会のはじまり。ブラインドを開けると、お向かいの会社がビジネスしているのが丸見えで、当然向こうからこっちも丸見え。夕方五時過ぎると、料理の注文がOKになり、その後、場所を変えて、珍しくマンダリンホテルのバーで、カクテルなど飲んでお開きとなりました。

 5月27日(水)50周年記念展の打ち合わせ

 この日は、日本工芸会東日本支部の来年に迫った50周年記念展に係わるイベントの打ち合わせで、神田の事務所に集合。私もホームページの担当者として、この機会に、図録や冊子のプレゼントとして、メルマガを発信して、登録者を・・・なんて、夢は広がりますが、現実は・・・どうなることやら。三越の個展をみて、東京駅の「多謝」で一杯。

 5月28日(木)一水会陶芸展の搬入

 一水会陶芸部会展が、長野に巡回してまいりましたので、私も出品者として、飾り付けのお手伝いにいってきました。広い会場に公募展部門と、会員の陶芸展(即売展)があり、人間国宝の大きめのダンボール箱を開けると、ゴロゴロと作品が出てきましたが、トータルで1000万円分くらいが、入っていたような。「ちいさな家なら建っちゃうよ」と半ばビビりながら、飾り付けました。夕方には、内覧会を兼ねたパーティーが催され、そこは地方らしく、お客様同士が、顔見知りなんですか、和気藹々としておりました。

 場所を変えて、長野市内の「フジヤホテル」で、もう一杯。ここは大正時代に建てられた由緒あるホテルで、今は、宿泊は出来ないけれど、会食や、結婚式場として、人気がおるのだそう。なぜかBGMが、ボンボコボンボコと、南国風だったりするところを除けば、格式高きところです。同席してくださった「志賀泉」という造り酒屋の当主が、持ち込んですすめてくれた酒の旨さを、想像していただきたい。

 5月29日(金)一水会展始まる

 長野の人は、あまり訛りはないけれども、たまに不思議な言い方もあります。「今日はテーダンがある。」というので、「長野では対談のことをテーダンと発音するのだ」と理解していたら、これが誤りで、「鼎談(ていだん)」。三人で話すことをいうのだそうで、恥ずかしながら知りませんでした。九谷の吉田美統先生、備前の伊勢﨑淳先生、そして司会役の外舘和子先生。時間をオーバーするほどの楽しいものでした。

 夜は、昨日お酒を御馳走になった「志賀泉」の当主のお宅へ、押しかけて、取っておきのお酒を御馳走になりました。そしてこのうちは、作曲家の中山晋平の生家でもあるのだそうで、「勝手に観光客が入ってくる」のだそう。それもどうかと・・・?

 5月30日(土)列品解説

 この日は、一水会陶芸部展の解説の係でしたが、連日の宴のタタリで、どうも体調不十分。40分の予定を20分にして(勝手に)東京にもどり、大人しくしておりました。

 5月31日(日)伝統工芸陶芸部会展の搬出

 当初の案内では、午後7時から撤収開始。となっており、私もその気持ちでしたが、午前中に千葉の上瀧浩一さんから電話をいただき、「会場は5時30分までになってます」。あわてて上司に確認すると、「間違いだから連絡しなきゃ」とのこと、「うちのは携帯を持ってないんです」と いう人や「おかけになった電話番号は、現在使われておりません」というひともいましたが、なんとかほとんどの人に連絡がつき、無事、搬出が終わりました。気になる売上は「微増」だそうでした。東京駅の「多謝」にて乾杯。

 というわけで、タイトな一週間でしたが、楽しかったです。「志賀泉」も旨かった。やっぱり仕事は無いよりもあったほうがよいですね。

 一水会陶芸展長野展は5年に一回だそうで、初めて行きましたが、陶芸の人間国宝10人のうち、5人が出品してて、その場で比べながら買える。なんとも贅沢な展覧会ですね。東京だったら、先生方もいろいろなデパートさんとの付き合いもあるでしょうから、実現は難しいかも。「デパートが一つしかない」長野のコレクターは、幸せですね。

 実はここに報告した5月25日に、もう一つ宴会がありました。自宅へ帰ったら、知人から電話があり、「いまから大事な発表があるから、東京駅に来るように。」とのこと。何事かと思って、タクシーで駆けつけてみたら、友人の「婚約」の発表でした。フォーシーズンズホテルのバーで、ささやかではありますが「乾杯」、こちらも幸せでした。

  

 

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2009年5月14日 (木)

アリの聴覚

 日本工芸会東日本支部50周年に係わるイベントの一つに、こども向けの解説書のようなものの、出版が企画されています。お願いする本屋さんも決まって、打ち合わせに行ってきました。私たち作家側は、終始明るく、担当のNさんは、終始硬く、ときには眉間にシワ寄せながらも、私たちの頼みたいことを、聞いてくれましたので、よい本ができるような気がしてきました。

 そのあと、日本橋高島屋の佐伯守美さんの個展を見にいきました。会場には、人間国宝の先生はじめ、数名の作家や、某国立大学の学長先生や、某国立博物館の関係者など、そうそうたるメンバーが、日が暮れるころを見計らって?集まっていて、総勢10名で近くの居酒屋へ。そのままイケイケゴーゴーとなり、私が帰宅したのは、3時AMだった。とだけ申し上げます。

 さて、自宅のお向かいさんのクレマチスが、あまりにも綺麗に咲いていて、陶芸家としては、これでなんとかひと儲けするべき。と考え、写真を撮ったり、スケッチしたり、蔓の出かた、葉のつき方などを観察しておりました。

 この植物は、日本語では「鉄線」といいますが、これは素晴らしいネーミングで、ちょっと蔓に触れてみると、固くて、丈夫。よほど己の蔓に自身がなければ、こういうデザインにはならない。○○花とか、△△草という名にせず、「これは鉄線だ。」といったひとには、センスを感じます。

 イラン人でありながら、日本の大学を出て、システムエンジニアとして働きながら、日本語で書いた小説が、新人文学賞を取ってしまうような、文系、理系の両方に才覚を発揮する才女(しかも美人)の話題が、新聞にのっておりましたが、きっとこういう人が、名付けたのではないか?などと妄想していたら、近所の顔見知りのひとが「小山さん、あんたそうやってプラプラしてるんだったら、地域の役員、引き受けてくれませんか?」だって。

 地域の役員、引き受けないわけじゃないけど、「プラプラしてるんだったら」の部分が、気に入らなくて、目下、保留中。

 イソップの寓話に「アリとキリギリス」というのがありましたか?たしかアリが働いている間、キリギリスは、バイオリンを弾いていて、冬になって生活が困窮して、アリのところに「食べ物を分けてくれ」と願い出るような話だったかな?

 イソップ氏の芸術に対する認識は、甘いのではないか?「バイオリンを弾く」ことに対しての対価はゼロですか?アリは音楽を聴くことで、仕事の能率が上がったのではないか?キリギリスはアリの労働者のところではなく、福利厚生を訴えて、女王のところにいけば良かったのか?

 プロのバイオリニストは、この話を自分の子どもに読んで聞かせるのだろうか?

 この寓話の主題は「備えあれば憂いなし」だと思いますが、そもそもアリに聴覚があるのでしょうか?もしもイソップ氏が「アリには聴覚がない」と、認識していたなら、この話の主題は「猫に小判」「馬の耳に念仏」的なものになる。

 画家の熊谷守一先生は、モチーフのアリを観察し尽くした結果、「アリはいつも左足から歩き出す。」との結論を、導きだしましたが、イソップ氏がアリの聴覚について、どう考えていたか?気になって仕方がありません。

 冬があるところのイキモノは、「冬を越す」という部分に、かなりの労力と精力をつかっています。冬眠したり、木の皮をかじったり。しかしながら「冬を越す」ノウハウさえ身につけてしまえば、それほど厳しい競争には、巻き込まれないですみます。装いも地味で構わない。

 冬がないところのイキモノは、生存競争もまた活発で、同種の配偶者を探すために派手な色になり、どう考えても邪魔に見える羽や、角をもてあましながらも、繁殖しています。微生物を含めて、植物も動物も、「冬が来たときどうしよう?」とは考えず、やりたい放題に見える。

 ゴッホもゴーギャンも浜渡富雄さんも、南国に身を置くことで、圧倒的なイキモノのパワーを感じて、刺激を受けているのでしょうか?

 我が家も夏休みには、なるべく赤道の近くに行きたいけれど、今年は豚インフルエンザの動向が、気になって、計画を立てられず困っています。配偶者の実家の宮崎も、東京よりは赤道に近い。夏は夕方になると、地元の人は「夕立ち」というけれど、私は心の中で「スコール」と言っている雨が降ったり、南国ムードは満点で温泉もあるので、そこでもよいのだけれど、なにしろ暑い。バリ、タイ(プーケット)マレーシア(ペナン)、宮崎(えびの)のなかで、確実に一番暑い。血圧が上がったり、痛風の発作でも出るといけないので、なるべく南の国へ避暑に行きたいのですが、どうなることやら。

   

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2009年4月27日 (月)

撤収が無事終わりました

 第49回東日本伝統工芸展東京会場の、撤収が無事終了し、陶芸は121点のうち、約60点は、札幌会場へと送られました。

 いつものように、東京駅の「多謝」で、慰労会。お店の好意で、期限の切れたサービス券も有効にしていただき、只ビール、只餃子、おいしくいただきました。

 さて、私ごとですが、京都にいってきました。毎年、参加させていただいている、「朝日陶庵アートサロンくら」でのグループ展の、会場に挨拶に行くため、であります。

 例年なら、参加者で一同に集まり、京都の街に繰り出すハズが、今年は皆さん忙しく、調整がつかないため、「それぞれ都合の良い時に、バラバラに行く」という、方針となりました。

 ネットで調べて、最安値は大阪空港までのチケットと、ホテルが一泊ついて、20300円なり。新幹線なら日帰りも可能ですが、こちらはホテルつかずに、約30000円。世の中どうなっているのか?迷わず飛行機に乗ることにしました。

 浜松町からモノレールに乗ると、いきなり建設中の「羽田空港国際線ターミナル」が、工事中ながらも、すでにその全容がわかります。たいそう立派なもので、千葉の人には悪いけど、これが完成したら成田空港はいらなくなるのでは?と思えるくらいのものでした。すでにモノレールの引き込み線も見えて、2010年10月、完成だそうです。

 問題も無いではないと思います。羽田空港につながるモノレールも、京急も、すでにいつも混んでいるように感じます。ちいさなトランクや、アタッシュケースのビジネスマンが、整然と列をなし、乗り降りしているけれど、ここに大きなトランクの家族づれや、外国人観光客や、バックパッカーがうまく混ざりこむの図。が想像しにくいですね。それに駐車場。いま成田空港は、民間駐車場なら自動車一泊500円。か、それ以下。羽田では、この値段はありえないから、自動車で空港まで行きたい人は、面倒なことになるのでは?

 安いツアーのチケットでも、集合時間というものがないのですね、以前は「出発の30分前」とかでしたが、旅行会社発行の印刷物に、異次元バーコードが印刷されていて、それをかざすだけで、搭乗券が出てくる。空港の人とは、一言もしゃべらず、飛行機に乗れるようです。

 伊丹空港の本名は「大阪国際空港」なのですが、マイナー感ありますね。実際、国際線の定期便は飛んでませんから。ほんの2日前に、羽を滑走路に擦る事故があったばかりとあって、すこしの緊張感もありました。

 営業キロ数が世界でいちばん長いことで、ギネスに登録されている市営モノレールに乗れるかと思いましたが、案内所のお嬢さんは、「京都に行くならバスに乗りなはれ」とおっしゃる。「待つんでしょ。渋滞したら時間もかかるし」と渋るオヤジに「5分後に、出発です。今のところ渋滞個所はありません。」だって。美人の言うことにハズレはなかろうと、素直にバスに乗り込みました。

 事故で40年ぶりに、有名になってしまったエキスポランドを横目に、高速道路にのると、陶芸家なら、ご存じの「日本電産シンポ」の本社ビルが見えます。自分でも買ったし、人にも紹介して、この会社の電動ろくろを一体何台、買ったか?100台はくだらないぞ。あそこに見えるイオンと見まごうかのようなビルも、外壁のタイルの一枚や二枚、自分が寄進したようなもの。それにしては御利益が少ない。などくだらないことを考えていると、京都駅に、定刻通り到着しました。

 朝日陶庵に、ぶじ挨拶をすますと、京都駅近くの「新福菜館」にて、ラーメンをいただく。

 大阪に戻って、かねてから一度行ってみたいと思っていた、鶴橋駅のコリアンバザールへ。なるほどここは異国ですね。つまみ用の水キムチ(¥300)を購入して、もつ焼き数本とともに、ホテルへチェックイン。「梅田トーコーホテル」は、梅田の繁華街からは、少し離れているものの、激安ツアーらしからぬ、素敵なホテルでした。ホテル内、自販機のピールも、定価販売。おかげで一本よけいにのめました。

 翌日、朝食が付いていたにもかかわらず、食べなかったのには、わけがあります。

 大阪の「プチご当地ラーメン」として、脚光を浴びつつある「高井田ラーメン」なるものを食べたいのですが、どのへんが「プチ」かというと、高井田というのは交差点の名前で、高井田ラーメン屋というのは、2軒しかないのです。

 この2軒を両方食べたいが、私はギャル曽根ではないので、2杯食べるには、20分しかないのです。

 つまり、胃にラーメンが入ってから、血糖値が上がって、満腹中枢が刺激されるまでに、20分くらいかかる。その間になら2軒のラーメンをハシゴできます。

 条件は、「2軒の距離が近いこと。」「行列していないこと。」ですが、今回は条件的に合致していたので、挑戦することにしました。

 まず初めに、ネットで評判のよい「住吉」へ。わずか8席の店で、敷地は三角で、二方が道に面していて、古いながらもよい雰囲気でした。初めて来たのに、店の外をうろちょろするだけで、注文を取られる。せめてメニュウなど見たいけど、勢いに押されて「普通」を注文。

 東京の人で、車の運転をする人なら好んで「なにわ」ナンバーの車に近づくひとは、いないでしょう。教習所でも「こういう車の後ろに付くな」と教わる。ような気がする。ところがこの界隈を、行きかう車の過半数が「なにわ」なんですね。しかも交差点の角にあるこの店の、真ん前。つまり交差点の中に、この店のお客さんとおぼしき人の車が数台、停めてある。

 おそらくラーメンというものが、この世に登場してきたときは、こんなだったのだろう。と思わせるような、豪快な作り方で、まずこの店には「計量」という概念が無い。醤油ダレは、4合瓶の、口元を親指で抑えてドボドボ入れる。お上から頂戴したと思われる店の衛生状態「優良」のお札が、やけに目立ち、麺は、世間話の合間に揚げる感じ。そしてこの店には「湯きり」という概念も無い。流行りの店のラーメン職人がみたら卒倒しそうな感じ。

 しかし直径4ミリメートルの、極太麺は絶妙に茹で上がり、スープは、最初はただの醤油汁か?とおもったものの、たしかにスープの風味が後から追いかけてくるもので、旨いか不味いか?という点についてはコメントしづらいが、店の構え、雰囲気、「なにわ」ナンバーも含めて、文化的価値は十分にあるものでした。

 さて早々に、次の「光洋軒」へ。

 同じ高井田ラーメンでも、こちらのほうが、洗練された感じですね。味も良い意味で「普通に美味しい」。もし私が、ラーメン博物館の出店要請担当者なら、こちらにお願いしたいです。

 私自身は、この地に再来したら、「光洋軒」に行きますが、友人に「高井田ラーメンを食べたいけれど、オススメは?」と聞かれたら、「住吉に行かずして、高井田ラーメンを語るなかれ。」と言いたいです。

 「東日本伝統工芸展の会期中というのに、小山はラーメンを食べに大阪にいっていた。」のではありません。「グループ展のあいさつに行って、時間があったからラーメンもついでに食べた。」が正解です。

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2009年4月22日 (水)

展覧会始まる

 第49回東日本伝統工芸展が、はじまりました。

 会期前日の4月20日。午前11時から、東日本支部の事務所に、集合して、まずは常任幹事会がありました。

 近くの蕎麦屋で、昼食をとり、会場の日本橋三越本店へ、移動。午後からは陳列です。わたしたちは、何気なく「陳列」と言うけれど、時代錯誤では?という意見もあり、そうすると他の展覧会や美術館では、なんて言ってるんだろう?と思いつつも、いまのところ陳列なので、陳列です。

 運送用の箱から出されて、台の上に乗っている作品をみると、「はたしてこれが全部ならぶのか?」と思いますが、終わってみればそれなりに納まるものです。

 まったく問題が無かったかというとそうでもなく、作品のひとつに、小さなクラックが見つかりました。よーく見ないと、分からないくらいのもので、長さも2~3センチくらい。古陶ならヤマキズとかいって、まったく問題にならないくらいのものですが、ここに並んでいるのは、作品であると同時に商品でもあるので、確認しておくことになりました。

 これは「サメワレ」です。陶磁器を窯から出すときや、出したあと、ヒズミを吸収しきれずに、割れてしまうタイプのキズで、密度の高い磁器や、逆に密度が低くてやわらかい陶器などに出やすい。極端な例では、窯から出て一年後くらいに入ることもあります。

 原因が特定できないキズの場合、「サメワレ」として、処理されます。会の運営上、都合がいいからという、理由がないわけでもない。

 もしも運搬中に入ったキズなら、運送業者に責任が発生すると同時に、保険など使うことになれば、保険料が上がったりすることもあるかもしれません。

 もしも、搬入のときに、すでに入っていたものを、担当者(私です)が気付かずに、受け付けてしまったのなら、担当者の責任。しかしながら受け付ける時に「キズはありませんか?」と声をかけているのに、どこかの鑑定団の先生みたいに、コンコンと作品を叩くことなど、失礼でできませんから。

 搬入のときに無くて、運搬もスムースだったのに、キズが入ったのなら「サメワレ」しかありません。だから「サメワレ」です。

 というわけで、ほぼ無事、陳列も終わり、このまま一杯と行きたいところですが、このあと幹事会のため、おあずけです。時間があったため、日本橋高島屋でやっている鈴木蔵先生の個展を、拝見しにいきました。一人で行くのは緊張しますが、この日は神谷幹事長を先頭に、ズラズラと金魚の○○〇状態。練り上げ志野になるのかしら、三色の土を使った斬新なデザインの茶碗が、好きでした。

 幹事会の内容は、このあとの巡回展の係や、出張者の確認と、来るべき50周年記念展の打ち合わせなど。次回の展覧会は賞の数が増えそうで、チャンスですね。

 「一杯やるにあたって、鈴木蔵先生に、お付き合い願えないか?お誘いしてみよう。つきましては、電話というのもナンなので、会場に行こう。」ということになり、高島屋へ再び参上しましたが、「先生はお帰りになりました。」とのことで、フラれてしまいました。

 さて、4月21日は展覧会当日。12時30分から、外舘和子先生による、列品解説。作家の解説と違って、鑑賞する立場の人側に立って話をしてくれるので、分かりやすいですね。なにより声が大きくて、ハキハキしているのが良い。人前でしゃべる時の基本です。文章もうまいがトークもうまい。つぎは歌と踊りですね。

 すこし時間をおいて、受賞式。普段あまり分からないけれど、受賞式には、後援してくれている文化庁はじめ、東京都の担当者や、朝日新聞のひとや、工芸会本部のスタッフが集まっていて、ほんとうにいろいろな所にお世話になっているのだと、実感します。

 三越特別食堂で、懇親会のあと、陶芸部会の2次会。今年は特に、賛助会員になられた業者さんや、学識の先生も出席していただいて、総勢49名の宴会になりました。ただでさえ狭い会場に、熱気があふれ、(オヤジ率高し)メガネも曇り、中華料理は辛くて、スープは熱い。しかし内容は濃い。

 そのあとは有志数名により、カラオケ屋にて3次会。それでもみなさん終電でおかえりになりました。健全。

 

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2009年4月14日 (火)

東西南北

 第49回東日本伝統工芸展まで、あと一週間となりました。

 今回は49回ですから、次回は50回ということで、いろいろと記念のイベントなどが企画されていて、もう準備は進みつつあります。

 私の担当は、子供にも読めるような、伝統工芸の入門書(タイトルは未定)を作ることで、すでにおおかたの原稿は集まり、業者も決まったようです。当初は子ども向けということでしたが、せっかく作るならということで、大人も子どもも、楽しく読めるようにと、編集をすすめており、そのための集まりは、3月にありました。

 4月6日には、陶芸部会展の搬入と審査がありました。審査といっても陶芸部会は入落は無く、賞を決めるための審査ですから、和気藹々とすすんでいきました。

 10年以上にわたって、春の支部展、秋の本展。また正会員になってからは、部会展と足を運んだ、この三越通販センターが、お引越しだそうで、ここに工芸会の仕事に来るのは、最後かも知れない。とのことです。

 お引越しといっても、二俣新町と西船橋の間くらいだそうですから、びっくりするほど遠くなるわけではなく、むしろ駅からは近くなるそうなので、秋の本展の出品要綱は、よく読んで、搬入場所を確認しましょう。

 それにしても、今回受賞された丹波の清水一二さんは、近畿の支部展でも、日本陶芸展でも賞が付いていて、勢いがありますね。今年の初詣にはどこにいって、賽銭をいくら入れたのか?ご自身のブログで公開するべきでしょう。(受賞5名の方のお名前は、日本工芸会のホームページをご覧ください。)

 さて、東日本伝統工芸展のハナシに戻りますが、三越特別食堂で行われる初日の懇親会のあと、例年通り恒例となっている「陶芸部会二次会」が行われます。

 実は昨年の本展のときに使った店が、先約があるとのことで、とれなくて、探すことになりました。希望は「座敷」です。腰が痛くても、足が痛くても、自由に席が移動できるから、懇親には最適。ところが、三越周辺では、なかなか大きな座敷の店がなく、ようやく座れても「まあまあ、ソコに座れよ」の「ソコ」が無いと座敷の意味も半減してしまいます。

 そこで今年は、「まるで会議のように、皆で一卓を囲む」をテーマに、店を探してみました。ネットであたりをつけて、電話しても「うーん、50人ですか?むずかしいですね。」というところが、ほとんどでしたが、「ダイジョーブデスヨ」という店があったので、いってみました。

 場所は三越本店から神田のほうに少し歩いたところで、おなじみの「吉」の北側にあたるところ。店構えは小さな中華料理屋にしか見えませんでしたが、三階に上がってみると意外と広い。なんとか50人くらい入りそう。「会議ミタイニ?デキマスヨ。予算スクナイノ?サービスシマスヨ」どうやらなんでもしてくれると言っている。

 それではと、試食してみると。880円の酢豚定食、なかなかでした。何を食べてもおなじ化学調味料の味しかしなければ嫌だなと思いましたが、化学調味料は使っていないか、ゴクひかえめ。四川料理が得意らしいので、辛いのかと思いきや、そんなこともなく、味の方は合格。

 器はというと、いまどき100円ショップでしか手に入らないだろうと思われる量産品で、ヨネスケの「となりの晩御飯」を見ているかのようで、ここまでサッパリとこだわりがないと、むしろ好感がもてる。様な気がする。

 いくつか問題も無いわけではなく、会場の天井の梁が低いため、背の高いひとが酔っ払って頭をぶつける可能性あり。そしてもうひとつ、日本語があまり通じない。店長とはなしながら食事をしてたら「小龍包ニコレカケルトオイシイヨ。エート、コレ何ダッケ?」「醤油かい?」「ソウソウ、ショーユ」だって。大丈夫かなぁ?

 中華名菜「東西南北」 中央区日本橋本町4-3-13 TEL03-5255-5877

 4月21日(火) 午後8時より「日本工芸会」で予約してありますけど多分その名前では入っていないと思う。「コヤマサン」でも通じなければ「オヤマサン」まで言ってみてください。ちなみに店の名前はトンナンシャーペーではなく「とうざいなんぼく」だそうです。念のため。

 三越の懇親会にご出席の方には、そこで案内チラシをお渡しします。二次会から出席のかたは、直接「東西南北」にお越しください。会費4000円。飲み放題です。

 

 

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2009年3月19日 (木)

当たり屋にご注意

 つい先日、ブログを更新したばかりだというのに、また更新とは、小山もよほどヒマなんだな。と思う方も、いらっしゃるでしょうが、「当たり屋」に遭遇したのですよ。記憶が生のうちに、紹介したくて、筆をとりました。ではなく、キーボードをたたくことにしました。

 状況はこうです。

 一方通行の狭い道から、片側一車線の広い道に出ようとして、一時停止して、左右確認して、優先道路のほうから、車が来ないことをみながら、左折しました。すぐ信号で停車しました。するとコンコンと、ドアを叩く人がいる。車を路肩に寄せて、話を聞いてみると。

「いま、右側を見ながら左折しましたよね。そのとき左側にいた私に、気づきませんでしたか?接触したんですけど。」

「それは大変。お怪我は?」

「怪我はありません。けど、接触したときに、携帯が壊れてしまったようです。」

「それは、申し訳ない。どうしたらいいですか?」

「液晶画面が割れてしまって、交換になると思うんです。」

 この時点で、人を疑うことを知らないわたしは、補償して差し上げるべきだろう。と思ってはいましたが、もう一方では、「車と接触した人が、持っていた携帯の画面が割れるの図」が想像できなかった。いったいどういう当たり方をしたのか?どれくらいの力が加われば、液晶が割れるのか?頭の中に再現VTRが、流れなかったことは、事実でした。チラリと見せてくれた、壊れた携帯は、いかにも旧式な形で、液晶画面も割れているようには見えませんでした。

「交換すると、いくらくらいかかりますかね?」

「16800円です。」

ここで、(ナンダカオカシイゾ)という気持ちになってきました。車が接触したのは、先方にとっても、突然のできごとなわけで、すぐに見積もりがでるというのは、いかにも不自然。しかも税込だし。

「すぐにここで、交換代を払ってくれれば、それで終わりにします。」

の、一言で疑惑が確信に変わったので、

「まず、あなたが携帯の販売店で、交換してください。その領収書を買いましょう。そのためには、お互い身元の交換が必要なので、ちかくの警察署で、警察官立ち会いのもと、お話をしましょう。」

ここで、立場が急に逆転して、「もういいです。用があるから帰ります。」というのを、このまま警察につきだすか、帰してやるか、いま何かと話題になっている裁判員のような心境になり、「帰してやる」ほうにしました。

 最大の理由は、急いでいたからです。我が家の欠食児童に支給する、ラーメンを買いに行く途中だったので、当たり屋さんに付き合う時間がもったいないと思いました。もう一つの理由は、私にはこの当たり屋さんが、悪いヒトには見えなかった。終始申し訳なさそうで、言葉遣いも丁寧で、敬語の使い方にも問題なく、押しが弱くて、押されるともっと弱くて、景気が良ければ、どこかのホテルのフロントが似合いそうな、ちょっと福山雅治にも似ていないでもなかった。どうしてもお金を巻き上げるといよりも「あわよくば・・・」タイプの話の持って行き方。運も悪い方じゃない。

 声を掛けたのが、私だからよかったけれども、近くの鮨屋のアンちゃんや、肉屋の若い衆だったら、今頃ボコボコだよ。

 ところで当たり屋さんにとって、天の助けとなったのは、セブンイレブンの冷凍100円ラーメンです。

 小山が生活に困窮しているのは知っていたが、そこまでか?という声も聞こえてきますが、このラーメン、私のなかでは、「合格」なんです。すべてに「100円にしては」というマクラコトバがはいりますが、レンジで4分、チンするだけで、麺が茹で上がり、スープの素にヤカンからお湯を注ぐだけで、できあがり。味もしっかり研究している感じがして、この値段だから、化学調味料に頼るのは仕方がないにしても、極力おさえよう。という開発者のプライドを感じる。このお湯の代わりに前日の鍋の残りの出汁、なければ鰹節などくぐらせるだけでも、随分違います。

 麺も説明書きでは、4分だけれど、3分30秒がベストかと思います。お試しあれ。

 実は我が家の近くに、山谷(通称)というところがあって、ドヤと呼ばれる簡易宿泊所がたくさんあり、そこらへんには「見舞金」目当ての、当たり屋が多いらしい。このへんを通行して、当たり屋にあったら大変だからと、慎重にゆっくり走ると、かえって当たろうとする人がいるから、普通にスピードをだして(もちろん制限速度内で)走り抜けよ。と、地元では言われています。当たる方だって痛い思いはしたくないから、どうせ当たるならゆっくりと当たりたい、と、おもっているため。だそうです。

 さらに実は、この辺の飲み屋で、当たり屋をしたことがある。という人と、偶然となり合わせて一杯やったことがあります。彼曰く、

「昔はよかったよ。一目見ただけで、国産車と外車が区別できた。そして、外車に乗ってる人は、間違いなく金持ちだった。ちょっとかすめただけで、一万円くらいくれたぞ。今の価値にしたら10万円くらいじゃないのかな?近頃は派手な外車が少なくなって、ちっちぇえ外車もあるよ。円高になってから、国産車と変わらなくなっただろ、だから貧乏なくせにちっちぇえ外車乗るやつもいる。そんなのに当たったら目もあてらんねよ。どっちが当たり屋だかわかりゃしねえよ。こっちが災難だ。」だって。

 「ああそうですか、ごめんなさいね!」

注 (小山は、12年目のVWポロに乗っています。)

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2009年3月17日 (火)

デモンストレーション

 先日このブログで、紹介した中心軸ロクロの、発表会が無事?終了しました。

 仕方がないと言えば仕方がないのですが、デモンストレーションが稚拙なもので、はたして中心軸ロクロはナンボのものなのか?最後まで分かりませんでした。

 やはり発明した人が、直接こういうことをすると、変な思い入れやらなにやらで、客観的に「いまこの瞬間に、伝えなければいけないことは何か?」が分からなくなってしまうようです。参加してくれた約20名のうち8名は陶芸教室の先生でしたから、反面教師という意味では、勉強になったのでは?

 デモンストレーションは、陶器を作るのとは、使う脳の部位が違いますから、作る方の名人上手が、必ずしもうまいとは限りません。

 たまに説明の下手な陶芸教室の先生というかたが、相談にみえますが、以前は「アキハバラデパートに行きなさい。」と申し上げていました。アキハバラデパートという名前の駅ビルの前には、デモンストレーション販売のブースがいくつも並び(露天、雨の日は休み)「いつまでも切れ味鋭い包丁」や「片手でおろせるおろし器」といった、説明つきでなければ、なかなか売れにくい商品を販売しておりました。

 今は、TVショッピングが盛んですが、あれは編集してあるのに対して、アキハバラはライブですから、勉強になりました。勉強に行ってるのについうっかり、「おばあちゃんが喜ぶ糸通し」なんて買っちゃうくらい、勉強になる。

 残念ながら、再開発のためアキハバラデパートとともに、無くなってしまったので、中心軸ロクロの開発者に「ここで修業してきて」と言えず、万事休しています。

 さらにもっと古い、私が小学生だったころの話。

 銭湯に通うのが、日課でした。東京の下町のため、洗い場にはタトゥーの入った人の割合が、高かったのか、必ず何人かはいました。

「昇り竜」や「不動さま」「鯉の滝昇り」など、銭湯で覚えました。そのなかに明らかに途中のままになっている人がいました。鯉らしいのですが、輪郭と目のアンダーラインみたいなものしか入っていなくて、目があるから鯉とわかるものの、それがなければミジンコかゾウリムシにしか見えません。こどもだから聞いてしまったのですよ「おじさんの鯉にはどうしてウロコがないのか?」と。父親があわてて平身低頭していたことを覚えています。

 それ以来「白鯉のおじさん」と仲良くなり、マミーやらコーヒー牛乳やらよく御馳走になりました。

 白鯉のおじさんの職業は「ヘビヤ」でした。ヘビを売っているわけではなく、蛇からとった油から作った軟膏を、上野の不忍池のほとりで、売るのですが、日本刀で自分の腕を切って、止血してみせたり、袋の中から蛇や白蛇を取り出して見せたり、その人を惹きつける話術は、すばらしいもののように見えました。映画に出てくる寅さんのように、明るいわけではなく、ときには鬼気せまり、何度見ていても飽きないものでした。

 そのうち私もサクラをやらせてもらえるようになり、あらかじめほっぺたにサインペンでホクロを描いておいて、「そこのぼく。ホクロをとってあげよう。」を合図に、軟膏を使うと、アラ不思議。ホクロが取れてしまう。これで軟膏が飛ぶように売れます。

 予想外に売れすぎると、金魚すくいのお姉さんと、一緒に商品の製造がはじまります。ワセリンと、龍格散だったかな?市販の粉薬と、なぜか牛脂の香りがする「ヘビの油」をよく混ぜて、缶に詰めるだけ。このお姉さんがすごい美人で(今で言う、ヤンキーだがこどもには「化粧」という概念がないため、すごい美人に見える)こういう人と行動を共にしているところも、ポイントが高い。

 立派なヘビヤになりたくて、サクラをやっておりましたが、白鯉おじさんは急にどこかにいってしまいました。

それから40年。いまでもおじさんが言っていた「寄せ」(人の興味を惹いて立ち止まらせる)「付け」(人の数を増やす)「オトシ」(営業をして、ご成約)の原則と、落語研究会で習った「まくら」「噺」「落ち」は、私の今の商売上、役に立っており、背中の鯉に鱗がなくても、美人のお姉さんとトンズラしたことなど、尊敬の念は消えません。いまでも「ヘビの軟膏を売るように、陶器の作り方を説明する。」を心がけております。

PS1 朝日陶芸展が休止だそうで、ビックリしています。いろいろお世話になった展覧会で、感慨深いものがあります。

PS2 私の本を買って頂いた河野美明さまから、質問をいただきました。なかに「雲母はどこで、買えるのですか?」とありました。陶芸の材料屋さんでは、松江のヤマニファーストセラミックのカタログで「マイカ」の商品名で、販売しています。雲母は手に入れたら、一度素焼きをしてから、土に混ぜたほうが使いやすいようです。しかし陶芸以外の分野では、一般的な材料で、ネットで検索すれば、いくらでも出てきますよ。

PS3 「釉薬・加飾による新陶芸技法」小山耕一著 誠文堂新光社が前号に引き続き発売されております。この本については、またこのブログで解説いたします。のでお手元に持っていてください。よろしくお願いします。(広告)

 

 

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2009年3月12日 (木)

第49回東日本伝統工芸展の入選者名簿のこと

 第49回東日本伝統工芸展の、入落通知が郵送で、出品した人には届いたころかと思いますが、支部のホームページで入選者の名簿が発信されています。

 当初は、入選者速報という形で、発信しようという計画でしたが、要項に「郵送を持って通知する」とありましたので、今回は少し遅らせて、「速報」じゃないので「名簿」での発信です。

 それでも出品した人にとっては、自分以外に誰が入選しているのか、これまでは展覧会が始まるまで分からなかったので、祝杯の揚げようもなかったところ、これで「お祝いに一杯やりましょう」と誘えるようになりました。

 受付番号の順になっているところは、賛否両論で、個人的には入試のときに自分の番号をさがすみたいで、ドキドキ感はあるものの、やっぱりちょっと見にくいかな?いずれ「あいうえお」順に並び変えてもらいますか?

 受付番号順ということは、前半に名前がでている若い方の番号のひとは、輸送搬入をした方々で、あとは持ち込み搬入の持ち込んだ順に番号が付けられます。私は、3月1日の持ち込み搬入の当日、受付の係で、会場にいましたので、確かにこんな順番でみなさんにお目にかかりました。陶芸の一番最後、搬入時間ギリギリで生温かい作品を持ち込んだ藤井隆之さんも、まさかこんな形で、ギリギリ搬入がバレるとは、不覚をとりましたね。

 また今年は、陶芸部会で、2名の2点入選者がでたようです。本展ではたまにみられますが、支部展の陶芸では、非常に珍しいのではないでしょうか?少なくとも私がお手伝いするようになってからは、記憶に無いような?快挙ですね。橋詰正英さんにも山本直紀さんにも、懇親会費、2倍払ってもらいましょう。

 3月5日の鑑審査には、会報の写真撮りのため、会場に行きました。「毎回同じではなく、何とか新機軸を。」と思う気持ちに、「記録だから」という気持ちも混ざり、それでもなんとか鑑審査会場の緊張感を伝えたいという、ピュアな心で仕事をしてきたつもりです。が、そのあとの懇親会になんとか潜り込んで、アワよくばアワの出るものなど、飲みたいというよこしまな気持ちも混ざり、さらにあわよくば、マイク握って発声の練習などしたいということで、日本橋の「吉」にて、家族対抗歌合戦に出席。

 作家さんチームと評論家さんチームの歌合戦は、評論家さんチームの圧倒的勝利に終わりました。とだけ報告しておきましょう。

 すぐ近くの日本橋三越本店で、個展をやっておられた上田哲也さん率いる、東京芸大系若手チームと、前田正剛さん率いる愛知芸大チームも、途中から加わり、上へ下への大騒ぎ。そのまま朝帰りになったチームもあったようです。 

 3月8日には、益子の「ヤマニ大塚ギャラリー緑陶里」にて行われている「陶7人展」のオープニングパーティーのため、益子に行ってきました。集合は、宇都宮東武で行われていた佐伯守美さんの個展会場。

新幹線で宇都宮まで約40分、4800円。東武線各駅停車だと二時間半、約1200円。頭の中でケチくさい計算をした結果、「時給1800円以上稼げるなら、新幹線にのってよし。」という結論になりました。「小山のことだから各駅に乗ったに違いない。」という声もきこえますが、ノンノン。こう見えても展覧会前なので、直前まで仕事して、新幹線にのりました。

 JR宇都宮から東武宇都宮までは、少し離れているので、散歩です。途中、屋台村みたいなところに「ベネズエラ料理」の看板を見つけて、まだやってないのにのぞいてみると、ボヨンボヨンのお姉さんが、料理の仕込みをしておりました。料理のことは分からないながらも、かなり本格的な感じ。屋台村と言えど「ベネズエラ」と「ボヨンボヨン」だけでは、やっていけない時代になったのだと感じました。何の肉だか分からないけれど、香辛料と肉を炒めるあまりの良い香りに、再来を誓って、神谷紀雄さんのレクサスハイブリットにて、益子へと向かいました。

 パーティー会場では、地元新聞社の取材があったり、終始なごやかなムード。お客様や地元作家の顔も見え、上品にお開きとなりました。

 なぜか笠間で二次会。ということになり、峠ひとつ超えて、笠間の街へ。

 有名な笠間稲荷の周りには、遊郭があったとのことで、言われてみれば粋な呑み屋や、バーがあり、焼き鳥やスペアリブ、クラムチャクダーなどの研究をして、すでに閉店しているスナックのママさんに電話して、開けてもらって、前笠間市長に御馳走になり、ラーメンでおひらき。そのまま笠間に泊って、朝帰りでした。

 3月10日は、千葉の神谷紀雄さん宅にて、懇親会。うっかり帰り損ねてまたもや朝帰り。うっかり帰り損ねたわりには、なぜか歯ブラシを持参している自分が情けない。

 あすは、中心軸ろくろの懇親会だし、来週に迫った展覧会は、どうなるのでしょう?

 

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