2012年4月 4日 (水)

三重苦

 風邪をひくと、熱が出てくしゃみが出たり、ノドが痛くなったり、鼻水が出たりしてそれらの症状が治まれば終わり。というのが当たり前でしたが、私のような前期高齢者ともなると「風邪をひいたダメージ」が残るのですよ。

もう症状は無いのに、なんともダルイというかカッタルイというのか、体の代謝がうまく行かず、エネルギーの生産が充分でない感じ。

そんな状態のまま、上野のJTBへ行って整理券をもらったのは、明日の名古屋行きの「ぷらっとこだま」券を買うためであります。

「ぷらっとこだま」は、名古屋まで行く場合、片道3000円程安い代わりに、1時間ほど余計に時間がかかる。つまり時給3000円以上のひとは、こんなもの使わずに働けばいいけど、3000円以下のひとは、迷わず購入すべきでしょう。自分の場合は、どうせ新幹線が動きだせば爆睡するだけなので、2時間でも3時間でもおなじ。寝ながら3000円稼いだと思って、迷わず購入しに行ったわけですが、「満員です。このチケットは週末だけ混むんです。」だって。

自営業というか自由業というか、フリーターの部類にはいるような立場なので、なるべくカタギのかたの迷惑にならないように、週末の移動は避けていましたが、買えないのは初めて。

翌日、しかたがないから普通のチケットを買って、いつもの「チキン弁当」買おうとすると、なんだか弁当屋の様子が変。「東北復興支援、みちのく駅弁まつり」だそうで、定番弁当はお休みだそう。よくわからないものを食べるなら、腹ペコのほうがましなので、弁当はあきらめ、乗車。

腹ペコでも爆睡。途中ウトウトしていると隣の席の親子が「パパ見て!小田原城だよ!」「ああ本当だ」といっていますが、違うんだよ少年。なせならここは熱海だから。お金持ちのおうちか、料理屋かなんかじゃないの?しかしこのとき金縛り状態で、訂正できず、少年が真っすぐに育ってほしいと願うのでした。

名古屋に着くも、まだ寝足りない感じ。こんなことなら正規チケットで、こだまに乗ればよかった。

ところで、どうして私が体調不十分なまま、名古屋に来たかというと、愛知県立陶磁資料館で行われている「龍泉窯展」が、今日までだからであります。名古屋駅から藤が丘までの地下鉄に乗ろうとすると、混んでて乗れない。次の電車に乗るもギュウギュウ詰めで、「名古屋おそるべし。そういえば国産航空機やロケットも名古屋で作るそうだし、トヨタもあるし、川は3本も流れてるし、いずれここが名古屋都になるかも。今のうちにマンションでも買っとくか?」と思ったのもつかの間。大半の乗客は2つ目の駅で降り、あとはほのぼのとしたもの。「マンションやめとくか?名古屋もまだまだだな。」

藤が丘から陶磁資料館の最寄り駅までは、リニアモーターカーです。これをちょっと楽しみにしてたのですが、楽しみにしすぎたのかおもったほどでは無かったかな。地べたから浮き上がって走るのだから、なんの音も抵抗もなくスーっと動くのかと思ったら、結構ノイズはありました。でも快適な感じ。登り坂のところの加速感は今までに経験のないものだし、回転半径はたしかに小さく、これなら我が家の周り(東京の下町)でも作れそう。

駅を降りてから資料館までの道のりは長かった。約600メートル。お天気の良い日ならなんてことないが、この日は嵐で、病み上がりで、朝飯ヌキ。遊歩道のところどころ、排水が間に合わず、水溜まりになってますから。

龍泉窯展は良かった。近頃のこの手の展覧会には窯道具などの展示もあるのが我々にはありがたい。遺跡とまではいかないのでしょうか?当時の工房のロクロの軸の跡の写真などリアリティがありすぎ。(これは学芸員の森さんの講演会の時見た資料で、展示されてたわけではありません。念の為。)「中国が龍泉窯のあたりを観光開発している」とのことなので、いつか行ってみたいね。

資料館の売店では、私の本を置いてもらっててありがたい気持ちになり、600メートル歩かされたことなどすっかり忘却のかなた。帰りもしっかり600メートル歩いて、リニモを待っていると、地震のようで地震で無い。高架駅が強風のため揺れているのでした。それでもリニアは「雨風に強い」と言われるだけあって、駅が揺れてても運休になることなく、名古屋までたどりつき、地下鉄で「浄心駅」へ移動。もちろん目的はラーメン。

寒くて、雨で、強風で、こんなときこそ温かいラーメン。ネットで興味をもった「らいおんはーと」をめざすも見つからず、たしかにこの辺なのに、昨晩、微熱状態で調べたからなにかを間違ったかと思い、自宅に電話して、情報を確認すると間違っていない。しかし店は無い。

つまり、お店が無くなった訳です。会社の解散と倒産はちがうので、このラーメン屋に関しても「ツブレタ」という表現は好ましく無いと思いますが、なんらかの事情で無くなった。それがまだネットの世界に反映されてないらしい。

これで2食、食いはぐれたわけで、今から調べる気力も体力もないので、今池の「呑助飯店」へ・・・

この店は約10年前の、テレ東の「テレビチャンピオン ラーメン王」で、和歌山の有名店「井出商店」と一緒に紹介された店で、かたやラーメン博物館に出店し、観光名所にもなっているのをしり目に、こちらは地元の人の憩いの店としてしみじみやっているという店で、私などには居心地が良くて、ノンビリしてるうちに「ここは浅草だったっけ?」と思えることもある下町っぽいところです。

肝心のラーメンは個性的。濃い。血圧の問題や尿酸値の問題も抱えつつ、「まあ2食分だから」と自分に言い訳をして、ビールと餃子とラーメンで、すこしはパワーがでてきたのでした。

名古屋駅にもどると、窓口が混んでる。強風の影響で、ダイヤが乱れてるそうで、それでも自動販売機は空いているので、東京まで新幹線の切符を購入。改札にいくと電光掲示板に「新幹線遅れ、20分~90分」とある。あれあれ、時速300キロちかくの風を切り裂いてすすむ新幹線も、風速20メートルで止まるのか?とおもったらそうではなく、「福山でなにか飛んできて架線に引っ掛かったから」だそうで、ホームの駅員さんは対応に大忙し。

気の毒におもいながらも、自分も聞きたいことがあるので、列に並ぶ。

「20分から90分の遅れって、なんでそんなに差があるの?」

「大幅な遅れは、福岡発の便だけです。大阪発のはだいたい定時です。あなたのは『のぞみ46号』四十番台は福岡発なんで、90分遅れます。」

「それじゃ大阪発のに変更できる?」

「ここではできません。とりあえず、来た電車に乗ってもらって車掌に聞いてください。」

「そういうひとがたくさん乗ってるんだから、すぐには車掌さんつかまらないでしょ。今向こうに入ってくる『こだま』に乗るのと、46号を待つのと、どちらが早く東京に着くかしら?」

「分かりません。」

「時刻表だと?」

「遅れなければ『こだま』が早いでしょうけど、『のぞみ』を優先して通そうとしますから・・・」

どうも後から責任が発生するようなことは言わない。というマニュアルでもあるのかしら?鉄道マンってこんなだったかしら?私のイメージの国鉄時代の鉄道マンというのは「オレは鉄道のことならなんでも知ってるぞ。早く行きたいのか座って行きたいのか?東京駅で乗り継ぎはあるのか?希望を言えば最善の道を教えてやる。」と言う感じなんですが、あれは自分が子どもだったからかな?

大阪発の便の列に並ぶと、「並ぶのがイヤだから指定にしたのに、だいたい発券のときにアナウンスがあってしかるべき。不親切である。」という、私の気持ちを代弁するようなコメントを皆さんが述べてらっしゃる。「座れなかったらどないしよう。まず車掌をつかまえてひとしきり文句言ったろ。席があらんかったらグリーンに座ればええで。どかせるもんならどかしてみぃや!」と、血気盛んなグループもいる。

そんなとき反対側のホームに「こだま」が滑り込んできた。適当に空いていて乗客のみなさんが気持ちよさそうに爆睡してる。サラリーマンも家族連れも、大口開けたままの人もいる。「ああ、自分がいるべきはあちらの世界だった。」と気付き、宗旨替えして、列を離れ「こだま」に乗り込むのでした。

「こだま」は社内販売が無いのでビールを買えないのだけれど、そういうものが無くてもすぐ爆睡モード。目が覚めると間もなく東京駅に到着。乗った時には「東京に着いたら『のぞみ46号』とこの『こだま』どっちが早かったかチェックしなきゃ」と思っていたことなど、どうでも良くなって「ぷらっとこだま」なら3000円安かったハズ。チキン弁当、3個買ってもまだあまる。これからは計画的な人生を・・・」と思うのだけれど、それがなかなかできない。しようともしない。先のことが確定してないほうが楽しいような・・・

新幹線で大変な目にあったので、しばらくは乗らないでいいや。と思っていたら、業者さんから電話があり、「盛岡のグループ展で、ギャラリートークがあるので、来てほしい。」とのこと。時間があれば車で温泉めぐり、なんて楽しそうだけど、前後の予定ビッシリのため、新幹線しか選択肢ないな。

「ぷらっとやまびこ」って無いのかしら?

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日本工芸会東日本支部選抜展

会期2012年4月19日(木)~25日(水) 最終日は午後4時閉場

会場 ギャラリー カワトク

    盛岡市菜園1-10-1 

出品作家 伊藤赤水 上瀧勝治 上瀧浩一 神谷紀雄 佐伯守美 高橋誠 寺本守 原清 福野道隆 前田正博 松井康陽 丸山輝悦 望月集 渡辺琢哉 小山耕一

       藤田正堂(漆芸) 

       鈴木盛久(金工)

そういうわけで、22日(日)に、在廊予定です。よろしくお願いします。

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2012年2月24日 (金)

オッズ

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。(実は前回の記事は年末に書いて、〈書くって言うのかな?〉個展前日に発信したので)昨年、大きな災害があったから「おめでたくない」と言う人もいますが、今年はお互い、おめでたい年になるように「おめでとう」と挨拶するのじゃないのかしら?その辺よく分かりませんが今年も残すところ約300日、よろしくお願いします。

ところで、私はいま、性格改善運動中であります。どうも、「のんびりする」とか「ボーっとする」のが苦手な性格で、「できれば一分、一秒たりとも無駄のない日々を送りたい」と思っています。私が一番苦手なのが、トイレと風呂でありまして、何もしないでトイレにいる時間や、風呂に浸かっている時間がもったいないので、読書の時間を兼ねることにしております。

独身のころはトイレと言うのは「新聞を読むところ」でしたが、結婚してからは配偶者から「あとで私が読めなくなる」との、御指摘をいただき、本に替えたので、我が家のトイレは本棚があります。風呂もカランの上ともう一つ反対側に読書灯が着いています。風呂での読書は快適で集中できますが、本がフニャフニャになるので、中古本屋に販売できなくなるのがたまにキズであります。こういう性質の人のことを「貧乏症」ということもある。

ところが、昨年の震災を目の当たりにして、「保険に入ろう」と思ったのですよ。いままで気休め程度しか入っていなかったのは、「死ぬ気がしないから」でも「お金がもったいないから」でもなく「自分のことじゃないから」です。

コヤマシンボリという馬がいつまで生きるのか?長生きすれば損。早死にすれば得。という馬券を買うのは配偶者ですから、配偶者に「馬券を買うか?」と聞いたら、「買う」とおっしゃるので、買いにいったわけです。

保険会社の担当者とやりとりをして、めでたく馬券購入に成功したのですが、そのやりとりのなかで「自分のオッズ」と言うものを目の当たりにするハメになりました。

自分では「全く元気」と思っていても、数字と確立と保険会社に蓄積されたデータによれば、私は高血圧と痛風とメタボで「それほど死ににくいわけではない」という結論に達し、一番死ににくい馬にくらべれば、オッズも悪いので、「少し馬券を高く買え。」と言われたわけです。つまり月々の支払いが少しだけ割増になったわけです。

南米のことわざに「明日でもできることを今日するな」というのがあって、最初聴いたときは何を意味しているのか全く分からなかったけれども、今となっては大変ためになるすばらしい格言で、これからはこれを座右の銘と定め、問題はなるべく先送りにし、ラテン的に生きていこうと誓うのでした。

ブログもしばらく滞っていました。新年早々の銀座松屋での個展、たくさんのかたにお越しいただき、ありがとうございました。結論から申し上げると、銀座松屋界隈のラーメンにお勧めのところを探せませんでした。「共楽」は普通に美味しいけれど老舗ですからね。これひとえに家賃の問題があるのだと思います。客が払う千円のうちいくらが家賃分なのか知らないけれど、「この家賃分の半分でも、人件費や材料費に回せたら」というのが、店主の本音ですか?なかには「印象を強く。個性で勝負」とばかり、四角い丼でラーメンを出す店もあって、意気込みは分かるが食べにくい。だいたい人間の口というものは四角い器で汁ものをいただけないのですよ。升酒みたいに口を尖がらせて角から飲むか、レンゲを使っても最後の一滴までは追いつめられない。最初からスープを飲み干せないラーメンなんてコヤマシンボリの血圧の為には良くても、ラーメンフリークのためにはどうかしら?

私も四角い器を良く作りますけど・・・

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2012年1月 4日 (水)

25年ぶりの故宮

 初めての外国旅行が台湾でした。約25年前。まだ1ドル240円くらいだったことは良く覚えています。ツアーの限りある自由時間に、一人でホテルの周りをふらつき、ドキドキワクワク。国内とは明らかに違う、危なっかしい感じに、血液が沸騰するくらい楽しかった。陶芸の修業中でもあり、故宮博物館は特別なところ。汝窯の作品の前から、しばらく動けなかった。

 あれから25年。再び訪れる日が来ようとは?

 台湾行きを決めたのは、震災があったからです。今回の震災では、思うところあって、寄付だとか義援金ののたぐいは、一銭もだしませんでした。違うかたちで復興に協力することにして、東電の株を買ったことは、このブログでも報告しまたが、もうひとつ、台湾からの義援金の多さに愕然としたので、「お礼」をしたほうが良いだろう。と思ったからであります。台湾人ひとりあたり数百円という、某大な義援金で、旅行の目的が「お礼」である以上、タクシーの運ちゃんや、土産物屋のオバちゃんにボラれても、あまり腹もたたないのではないか?と考えました。が、台湾(台北)も、この25年の間にずいぶんと変わったようで、今回の旅行で「ボラれた」と感じたことは、一度もありませんでした。

 「個展の前なのに、ずいぶん余裕だなあ。」という声も聞こえてきますが、早めに安いチケットを買ったので、個展の予定よりも先に決まってしまってたんです。念の為。

 成田空港19:25分発のデルタ航空は、パーソナルモニター付きのシートで、見たくもない広告を見せられながら、定刻に桃園空港に到着。今回の旅行は、ムスコが骨折してギブスをはめたままの移動だったため、空港内は車いすだったので、「博愛」の窓口は並ぶことなくスムーズに通過。

 タクシーで東京国際飯店まで1100元(約3080円)なり。

 深夜だったため、扶養家族のみなさんはそのまま就寝。私は「五七九牛肉麺」へ。

 台湾では牛肉麺が有名なので、さっそく試食してみると、なるほど辛みの中に薬草っぽい風味を感じるもので、ラーメンとは違うけど、旨い。オーストラリア産の牛肉がごろごろはいってます。

 次の日は「千と千尋」のモデルになったと言われている九份へ、タクシーで1000元(約2800円)タクシーの運ちゃんは「メーターで行けばもっと安いよ」と言ってくれてるけど、この時点ではまだ「メーターにしたら遠回りするに決まってる。」と警戒モードで、「定額でたのむ」ことにしました。

 九份はさすがに、観光地で、洗練されているとは言い難いものの、思ったよりヘンテコではなく観光地化されていました。道端で売っているオヤツがそれぞれ美味しく、面白く、茶芸館というカフェは風情があり、ちょっと江の島が混ざるものの、中学生と小学生にはちょうどツボだったらしく、楽しかったようで、足をひきずりながらも連れてきてよかったよ。

 帰りのタクシーも1000元。渋滞するときはするので、定額なのは安心と思いました。「台北市内ならどこでも1000元」だそうで、このアバウトな感じがまた良い。

 台北市の人口は230万人とか260万人とか言われていますが、東京と横浜、大阪と神戸というように、行政区の境目はあっても人の境目はないので、だいたいインフラを整備するときには通勤通学可能圏で800万人なのだそう。それに人のオーラというか圧力というか声の大きさというか、大都会です。

 そして夜は夜市へ・・・この夜市は、日本の縁日みたいなもので、屋台がたくさんならんでるのですが、日本とちがうのは「毎日」やっている。と言うことなんです。不思議なのは夜市が行われる道路の両側には、普通に飲食店があり、夜市の屋台と同じメニュウをだしてる店もある。「腹が立たないのか?営業妨害とは思わないのか?」という疑問も浮かびますが、良く見てみると、夜市が立つ場所というのが、案外ビミョーな場所なんですな。もし夜市が無ければ、どれだけの人出が見込めるか?というと、キビシイだろうと言わざるを得ない。夜市を誘致して、たくさん人を呼び込めば、中には「夜市は楽しいけど、衛生上の問題が気になるので、食事はちゃんとした店舗で・・・」という人もいるわけで、まあショバ代とかがどうなってるのか分からないけれど、こういう営業形態もありなのだろうと勝手に解釈して納得するのでした。

 翌日は桃源街の美味しいがガイドブックに載りにくい牛肉麺屋へ・・・

 どうしてガイドブックに載りにくいか?というとこの店には「名前がない」からであります。本当は「老王記牛肉麺大王」という、立派な、というか立派すぎる名前があるのだけれど、台風で看板が落ちたが、そのままでも売上が落ちなかったため、看板のないことを気にしないようにした。らしい。そしてだんだん、名前があることを皆が忘れていったらしい。そのことがかえってこの店の迫力を増したというか、こういう営業形態もありなのだろう。

 配偶者がつきあってくれたので、辛み濃い味の「紅」とアッサリ塩味の「清」を両方楽しめたのはラッキーでした。本当に旨かった。特に「清」のほう。そのまま日本のラーメン激戦区に出店してもスープは通用しますね。麺はラーメンというよりも、中力粉使用のうどんのようなものでしたが、台北に行かれる方は是非。タクシーに「西門、桃源街、牛肉麺」と、書いてみせればOK。事実、我々がいた数十分の間に、ベンツ、レクサス、リンカーン、見たこともないが、わかりやすい高級車などがどんどん横付けして、偉い人と運転手が一緒に麺をすすっていました。

 さて、25年ぶりの故宮博物院へ・・・

 改装したそうで、館内は私の記憶とは合致しなかったものの、作品は良く覚えているので、お懐かしい感じ。キリギリスの乗った白菜や、豚バラの煮込みがスターになっていた。大きいほうの中国の方々の団体さんに交じって見せていただきました。

 近頃は、固いものを加工する技術が発達してきて、日本の陶芸の世界でも、窯から出た後にデザインができるようになり、「いままでにない斬新な表現!」という意見もあれば「陶芸らしくない」という人もいる。しかし私はここ故宮で見たのですよ。明らかに焼いた後に加工している作品を・・・。しかも東漢だって。いまから2000年ちかく前だぞ。ホントかしら?

 低火度の緑釉を掛けた大ぶりの壺に、なにかの文字が爽やかに彫り込まれている。確かに鉛系の釉薬だから、それほど固くはないけど、文字がキチンと彫られ、ひょっとしたら焼かれた年代と彫られた年代は違うかな?それにしてもみごとな彫刻で、もしも焼成後の加工で、仕事をしている陶芸作家がいたら、すぐに台湾に行き、この作品をチェックするべきでしょう。そして陶芸らしくないというひとに「君の仕事はなんですの?染付?せいぜい7~800年やねえ。アンタは?青磁?よくて1000年か?僕の仕事は、2000年ちかくの歴史がありますねんよ。」と言うてあげたらよろしいわ。そのときには小山をガイドに雇って、一緒に連れて行くべきでしょう。

 三日目は、「台北101」という、「世界で2番目に高い」という、これまたビミョーな観光地に行って、「一日に2000杯売れる」というキャッチフレーズの「好記担仔麺」へ・・・

 名古屋に台湾ラーメンという、ひき肉の乗ったラーメンがあるのですが、おそらくこれのモデルになったのが、担仔麺と言われており、なるほどそのとおりひき肉と、エビが乗った小さいどんぶりながらも、35元(約100円)という嬉しい価格設定。お店のあちこちに「一日2000杯売れる」と書いてあり、紙ナプキンにも印刷してあるけど、店の営業時間からすると一時間に120杯売れるはずで、30秒に一杯の注文が無ければいけないのに、私がいた数分のあいだ、ほかに客はいなかったけど、ラーメンは美味しかった。

 「なんでもうまいんじゃないか?ただの食いしん坊だ!」という声も聞こえてきますが、さにあらず、麺類に関しては、4勝2敗でした。ここには書けないけど、悲しい思いもしてきました。三日間の滞在で、11食しか食べないのに、そのうち6つはラーメンのようなものでした。

 一昔まえとちがって、ガイドブックが信用できるようになりました。ネットのおかげで情報が増えたのでしょうか?以前はガイドブックに載る店というのは、資本が大きいとか、老舗とか、町長の知り合いが経営してるとか、場所が分かりやすいことが大事で、味なんかどうでもよかったのではないか?今はそんな基準で本を作ったら、リピーターがいなくなっちゃうから、出版社も大変なのでしょう。

 本日、個展の飾り付けに行ってまいりました。明日(2012年1月4日)から一週間、銀座の住人になります。会場でお待ちしております。

  

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2011年12月19日 (月)

モーターショウに行ってきました

 たまに確認しますが、このブログは日本工芸会東日本支部の陶芸部会の会員の方に、会の活動状況を報告したくてアップしていますが、脱線が多いのが現状であります。

 本来ならここで、第52回東日本伝統工芸展のことを報告しなくちゃなりませんけど、これまであった仙台、新潟の巡回展の開催が難しいこと。それに伴い、盛岡展や東京展の細部がまだ流動的なもので、たぶんもうすぐ出品要項が届くので、そちらで確認してください。

 また今回から大きさの制限が入ると思います。縦横高さ合わせて120cm以内、です。壺なら40×40×40ですし、皿なら50×50×20ですから、これまでとそんなに変わりませんが、注意が必要です。

 さて、昨日、工房の忘年会で「ブログの更新をさぼっている!」とご指摘をいただきました。来年早々に銀座の松屋で個展をやることになり、忙しかったのですよ。しかも中学生の息子が、体育の授業中にハリキリすぎて骨折をしたので、車いすを借りにいったり、東京モーターショウがあったり、グループ展の会場当番があったり、忘年会があったり勉強会があったり、ラーメンも食べなきゃいけないし、コストコにビールも買いに行かなきゃいけない。

 車いすというものが、公的な施設で簡単に必要な時だけ借りられるとは知らなかった。早速、試乗してみると、案外と難しいものですね。とくに道路を、真っすぐ進むのができなかったです。いままで車を運転中に、車いすのひとが、道の真ん中を進んで行くのを見て「どうして歩道側を行かないのか?」と思うこともありましたが、実際に乗ってみると水平なところじゃないと真っすぐ進めない。道路の端は傾斜してるから車いすでの通行は無理。ということが分かりました。次回痛風の発作が出たら、すぐ車いす借りに行って、今度は電車に乗ってみたいです。

 東京モーターショウは、なるべく毎回行くことにしています。別にコンパニオンのおネイさん目当てじゃないけど、クルマより来てる人を観察してるほうが面白かったりする。

ルノーというメーカーのところにカングーという、スピードは出なさそうだけど荷物はたくさん乗りそうな商用車のようなものがあったので、セールスマンとおぼしき人に質問をしたわけです。私の興味はただひとつ。「この車で500キロの粘土を積載できるか?」なんですけど

小山「この車に500キロの荷物を積みたいけどダイジョブ?」

ルノー君「定員は5名です。」

小山「同じ車体で7~8人乗りの設定がありますか?日本でラインナップしてなくてもフランスであるなら目安になるんだけど・・・」

ルノー君「フランスで売ってる7人乗りの車は、別の車種になります。正規代理店では扱ってません。個人輸入で日本lに数台入ってきてます。」

こんな感じで、いちいち人の質問にズレタ回答をしてくるのは、本人が答えてないからで、質問のたびに「ちょっと聞いてきます。」と席を離れて黄色くて丈の短いスカートをはいたコンパニオンのおネイ様に聞きに行くわけです。たぶんこのおネイ様がコンパニオンの親方で、研修充分なのか、あるいは経費削減のため、社員に黄色いスカートはいてもらったのか、良く分からないブースであることはよく分かりました。ちなみにルノー君の役目は、この車の後ろに観音開きのドアがあるのですが、それを閉める順番が決まっているようで、見に来た人が、正しく閉めてくれるように見届ける役の人のようでした。

小山「閉める順番、間違えたらどうなるの?壊れちゃう?」

ルノー君「すぐに壊れはしませんが、大変なことになる・・・」

・・・大変なことって?興味は尽きませんが、次へ。

トヨタのブースでは、「アクア」というハイブリット車の新車に人だかりができ、運転席に座ってみたいひとが行列を作っていました。でも後ろの席なら並ばずにもぐりこめそうなので、入ってみると先客あり。二人の中○人らしきひとが、ノギス片手にシートベルトのバックルというのか金具の部分を、計ったりデジカメで撮ったり、目的の分かりやすい行動をしておられました。もちろんこれは「ショウ」でありますし、彼らも入場料を払っているわけですから、全く合法というか、おネイさんもニコニコと温かい目で見守っておられるようでした。が、私はちょっとビックリした。でもこの彼らの行動で、安価で立派なシートベルトができて、世界のどこかで交通事故のとき誰かの命が救われると信じます。たのむから形は同じでも、強度が弱い、なんてものを作らないで、と望む。

 さて今回のモーターショウでは、電気自動車の展示もあって、いくつか興味をもって見て回りました。ベンツのスマートという二人乗りの車が、「すぐに買っても良い」と思いました。「おお、小山強気だな。どこにそんな予算があるのか?」と言う声もきこえてきますが、ただし、「右ハンドル車が出れば」です。この車の右ハンドル車はまず出ないので、こんな強気なことが言えます。

 私が勝手に決めた「日本三大しまった」というのがあって、ひとつは「鉄道網を狭軌で作った」こと。もうひとつは「100ボルトにした」こと。(もっと電圧高いのがよかった。)そして最後に「車を左側通行にした」ことです。

 日本やイギリスのような、右ハンドルの車はアクセルペダルとタイヤハウスが干渉して、場所の取り合いになるのですよ。大きな車なら問題無くても小さくすればするほど問題は大きくなる。ナビやシフトレバーの操作も左手になるし、いっそのこと今から変えちゃえば?と思うこともあります。そういうわけで、スマートの電気自動車は、実際に運転席に座ってみて、最初から右ハンドル仕様を作る気は無いのだな、と確信できるように見えたです。

 最後に、電気自動車試乗会。三菱のアイミーブという車に乗せていただきました。この車もステキだった。値段が高めなのは仕方がないけど、ガソリン車が10年保障なのに電気自動車は5年だって。バッテリーは充電放電を繰り返せば、性能が劣化するのは周知の事実。実際のところ耐久性はどうなんだろ?いっそのこと「何回充電できます。」みたいに言ってくれたほうが、分かりやすいけど。自分で運転するわけじゃなく、ほんの数百メートルをクルリと一周するだけですが、おさるの電車みたいな楽しさはあったし、ことしから有明に会場が移ったので、ナント我が家には舟で帰れるのですよ。日が沈みゆく東京の夕景をみながら、コーヒー片手に隅田川をクルージング。のはずがすぐ爆睡しちゃって、浅草で起こされました。

 小山耕一作陶展  銀座松屋7階「遊びのギャラリー」

             2012年1月4日(水)~10日(火)

             毎日会場か近くのラーメン屋に居ます。ご来場おまちしています。  

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2011年10月25日 (火)

札幌の個展の報告

 自動チェックイン機が登場してから、飛行機に乗るのが楽になりました。

バーコードをかざして、チケットをもらって、荷物を預けようとしたそのとき「こやまゆういち様ですね?」と、おネイさんが言うので、「いいえ、こやまこういちです。」と言ったら、一瞬、顔が曇った。

チケットの名前と登録名が、違うらしい。「身分証がありますか?」というので、いつ何時、痛風の発作が出ても困らない様にと、肌身はなさず持っている保険証を出し「手書きで替えておきます。」と、名前を書いてくれました。

搭乗口でも呼び出され、「旅行の手配書を見せれ。」というので見せたところ、「封筒の宛先は間違っていないので、これは旅行代理店の入力ミスであろう。ただしオヌシにも落ち度が無いわけではないぞよ。こういう引き換え券が来たら、すぐに内容を確認し、間違いがあればただちに旅行社に申し出て、再発行を促すのが正しい人の道である。今回は特別に勘弁してやるが、本当だったら、正規のチケットを買い直すのだぞ。ありがたく思え。」といったようなことを丁寧に言われて、正規のチケットを買ったらラーメン代が無くなるので、ありがたく飛行機に乗せていただいたのでした。

札幌千歳空港は新しくなって、ラーメン屋がいくつも集まるところができたので、ギャラリーのオーナーに「着きましたが、用事をこなしてから向かいます。」と電話をすると「ラーメンですね。ごゆっくり。」だって。

「えびそば一幻」はその名のとおりエビ味のラーメン。

札幌のラーメン屋のほとんどが、塩、醤油、味噌の味があって、なにを選んでいいのか迷うけれど、ここは基本のスープが3つ。味が3つ。組み合わせ9通りもあって困った。

「そのまま塩」というのを食し、なるほど、私がこれまで食べたエビ味のラーメンのなかでは、一番エビの臭みをうまく処理しているというか、これなら万人に受けるでありましょう。

ロイズチョコレートの動物チョコはここでしか買えないものだそうで、これを頼まれていたので、自宅へ送り、札幌へ。

個展会場は「苗穂駅」という、札幌の隣ですが、電車は3両編成だった。挨拶をして、作品を並べて、今日は「ラーメン研究会」に行くので。ということでお開き。

定宿のオリエンタルホテルに荷物を放り込み、麻生の「北山龍」へ。

「ブラックソルトラーメン」は、そのネーミングはキワモノっぽいが注文してみる。はたしてどうして塩ラーメンが黒いのか?ラードや焦がしねぎなどの炭素系の黒か?はたまたイカの墨?など思いを巡らせていると、出てきたのでまずはスープを一口。

味はまったく醤油ラーメンでした。しかしながらとても旨いもので、気に行ったわけです。無化調だから後味もよろしく、高得点を付けるべきですが、わたしは塩ラーメンを食べる気持ちでいたので、塩ラーメンも食べたい。ということで、ホテルに帰り、ゆっくりお風呂につかって、散歩して、10時の閉店間際にまた同じ店にいきました。いくらなんでも恥ずかしいので変装した(上着を変えただけ)のに店にはいったとたん「忘れ物ですか?」だって。

「出張中で時間が無いんだからしょうがないでしょ。こんどはジンジャーソルトラーメンをください。」

ジンジャーが利きすぎていて、本来のスープの味が隠れがちながらも、こちらは塩味で、これまた美味しいもので、自分の中のお気に入りリストに、この店を入れました。ごちそうさまでした。

個展初日のランチは、ギャラリー近くの「綱取物語」へ・・・

ここは、その名が示す通り、「勝ち方を知ってるな。」という感じがしましたね。看板の味噌はちゃんとしたラーメンで、、チャーシューには、コストを掛けているのが良く分かる。塩、醤油と味ごとにスープも替えているのだそうで、こんどは醤油を頼もう。

ギャラリーが閉まると、この日はギャラリーオーナーの知り合いの海鮮居酒屋へ・・・

シシャモの刺身を頼むと、思ったよりしっかりした白身の刺身で、脂ものって旨かった。初めてたべました。北海道の幸を満喫。もうラーメンは無理、就寝。

個展二日目のランチは「虎鉄」へ・・・

チェーン展開しているラーメン屋さんですが、その割には頑張っているなと感じましたが、つけ麺を頼んだ人は、「食べてるあいだに、付け汁が冷めてきて、苦しかった。」のだそうで、「温かいつけ麺」が正解だよね。という声がありました。

この夜は、北海道の陶芸家のメンバーが、「三時間飲み放題」に招待してくれました。席に着いたら石狩鍋が用意してあって、既に火が通っていて、「これで三時間もつのかしら?」と思いましたが、話は弾み、時間なんて全然足りないくらい。楽しかった。

お腹もいっぱいだし、ホテルで寝ようとしていたら、なんだか空腹を覚え、すでに午前一時を過ぎているので、深夜営業のラーメン屋を検索すると「えびそば一幻」がヒット。

ホテルから徒歩で向かい、今回は「そのまま醤油」を選択、私には醤油のほうがこのスープには合うような感じがしました。美味しかった。

個展3日目のランチは、鶏ラーメンの「鶏花」へ・・・

この店は牛筋カレーも名物だそうで、ミニサイズを注文。ラーメンは同じく鶏ラーメンの笠岡ラーメンを彷彿させるもので、美味しい。カレーはスパイスがバッチリ効いていてまあまあ。しかし問題が・・・ラーメンの合間にカレーを食べると、舌が麻痺して、スープの味が分からなくなっちゃう。このみせでカレーも食べる人は、「ラーメン一番、カレーは二番」の順が良いでしょう。ちなみに一緒にいったひとはハーフカレーをたのんで、「食べきれない」と申しておりました。

そして夜は、「信玄」へ・・・。このみせはマズかった。味ではなくてオペレーションがマズかった。

ここも、札幌のラーメン屋の例外ではなく6通りのスープがあり、何にしていいか分からず「アッサリ醤油」を注文。あとからきた関西の人とおもわれるお兄さんが「こんだけあったらなにを頼んでいいか分からへんやん。オススメはなんですの?なにが一番たくさん出てはんのん?」と聞くと店員が「こってり味噌です。」だって、上方のひとの行動はいつもストレートでステキ。このひとの後に入店すればよかった。

そして、ラーメンが先、ビールが後にでてきたのですよ。これは困った。ビールもラーメンも好物なのに、同時には・・・

そんなわけで意気消沈し、この店はコメント無し。しかしながら「石狩の本店は旨いよ」との情報もあり、来年また個展の話がもらえたら、こんどはそちらへ行って、「こってり味噌」を食べよう。

帰りの飛行場では「梅光軒」の「醤油」を朝食代わりにいただき、こちらは「老舗の旨さ」というか、さすがというか結構なものでした。

飛行機に乗り込むと、昔の言い方でスチワーデス。いまは客室乗務員のおネイさんがいらっしゃいますが、美人さんでいいですね。「オイオイ小山、オヤジ臭いぞ。セクハラか?」と言う声も聞こえてきますが、人は生まれてくるときに美人かそうでない方向か、なんて選べないので、美人さんは「運がいい」わけです。飛行機に乗り込むときに誰もが思う「万が一・・・」という気持ちを払拭するのに美人さんは最適で、「こんなに運のいい人と一緒なら大丈夫。」と思いますから。

もっとも美人に生れついた時点で、「一生の運を使い果たした人」と考えることもできるわけで、やっぱり飛行機はちょっと怖いね。

私は東京に帰りましたが、個展は2011年10月27日(木)まで、白石区の「インテリア アクア」でやっております。よろしくおねがいします。

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2011年10月20日 (木)

札幌の個展

 今月は、ウチのムスコが14歳になったのだそうで、おめでたいってことで、ささやかながらお祝いをしたわけです。

 このムスコは、生まれて数カ月のときから、保育園に預けっぱなしでありましたが、おかげで、人間関係においては、少々のことには動じない、むしろ動じなすぎて「大丈夫か?」と思うくらいです。

 人質を預けた以上、保育園のおっしゃることはなるべく協力しよう。と思って、送り迎えや、遠足、○○会などの、親が参加してもよい行事には、なるべく出席するようにしておりました。

 保育園ではその月の誕生日の子どもに「誕生会」を催すのが恒例で、忘れもしない10年前の、ムスコ4歳の誕生会の日。

 迎えにいって、ムスコと帰ろうとしたとき、いつも送り迎えで会うので、顔は知っているが、名前などは分からないくらいの、父兄の奥様が「フータ君のお父さん!お寿司の配達の仕事でよかったら、今日から働けるわよ!頑張れば将来、独立もできるのよ!」と、真顔で言われたので、最初、ビックリして、そのあと「ありがたい」と感じたのでした。

 確かに、仕事の合間に迎えにいくので、いつもドロドロのデロデロの格好でしたし、平日の昼間の行事だと両親そろって参加のところは、少ないなあ。と感じてはいましたが、それほど心配されていたとは・・・

 寿司やの出前と、どっちが儲かるかは分からないながら、稼業はあるので、丁重に説明をして、お礼を言って、うちに帰って「寿司屋も悪くないかも」なんて思ったのでした。

 あれから、ちょうど10年。だから、もし寿司の修業に入っていたらそろそろ独立のお許しが出る頃ではないか?いまの陶芸教室の場所で開業。「耕寿司」じゃ生きのいい感じがしないし「窯寿司」じゃあったかい寿司が出てきそう。「土寿司」はもってのほか。まずそう。

 寿司屋さんの奥さんのありがたい話を、お断りしたことを後悔しないように、仕事に励むことにいたします。

おしらせ 小山耕一陶展 平成23年10月22日(土)~27日(木)

       午前11時~午後7時  「インテリア アクア」2Fギャラリー

       札幌市白石区菊水上町1条1丁目24-12 TEL011-832-1933

     ※私は22日 23日 24日に会場に居ります。よろしくお願いします。 

 

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2011年9月30日 (金)

第58回日本伝統工芸展のこと

 今回の作品飾り付けは、会期前日の午前10時からスタートしました。

 三越本店の開店前や、閉店後だと、従業員入口っていうのか裏側から入る。その場合要件を記入したり、店員さんと一緒じゃないと出られなかったり、いろいろと大変なんですが、今回は開店と同時にお客様と一緒に入店。「いらっしゃいませ!」なんていわれると、なにか買ったほうが良いのでは?と思っても「みんなビンボーが悪いんや!」と言い訳したくなるくらい、なにも買わない。(買えない。)

 約30名の東日本支部陶芸部会正会員のメンバーで、今回入選を果たした人が招集されておりました。

 会場には、見にくいところは無いものの、なんとなく国宝や鑑審査、受賞の作家を集めた場所があって、その近くは上座というか特に緊張感が高い。そういうところには、自分で飾り付けに来た人が、役得で作品を置いて行くのだけれど、そこはやはり展覧会としてのバランスがあり、色や形が似通ったものは離したり、お茶の道具はまとめたりと、暗黙の了解のようなものはあります。

 でも特別に、移動が無ければ、基本は業者さんが全くランダムに出して、たまたま最初に置かれたところに、そのまま展示。というのが、割合としては一番多いでしょう。つまり「時の運」なので、関東の作家つかまえて「オレの作品を、良い処におくように。」と脅かすよりは、神社仏閣にお賽銭投げるほうがいいかもね。

 交通費は出ますが報酬というものは出ない。しかし今回みたいに終わる時間がちょうどお昼時だと、「昼食代」が出る。皆さん急に強気になって、近くの店で「ビール!とトンカツ定食!」昼間から少し良い気持ちになったところで、この日は解散。

翌日は展覧会初日で、原清先生の列品解説。あいにくの台風襲来で、いつもよりお客さんは少ないものの、100人は軽く超えたかな?今回の地震で被災しながらも入選を果たした宮城の橋本昌彦さんの作品の前では、特に熱のこもった解説。いつもは満員のためなかなか移動しながらの解説はむずかしいけど、今年はグルリと動きながら、丁寧に説明されておりました。今年のお客さんはちょっと得をしましたね。

 今年受賞されて、京都からいらしたS農巌さんに「台風、大丈夫ですか?」と尋ねると「僕のときは大丈夫だったね。でも、もっと風がでてきたら、止まるんとちゃう?」の予想どおり、そのあと新幹線はストップ。自分はどうしたらいいのか分からなくなった。

 と、申しますのも丹波のS水一二さんが「僕は、初日に東京に入ります。着いたらまず一杯やりましょう。」と言われていたので、夕方になっても呑み始めていいやら悪いやらで、交通情報とにらめっこ。我慢できなくなって、少しずつ家呑み始めたところで、S水さんから「もうあきません、名古屋駅で8時間、新幹線にカンヅメですよ。もう動かないって言われました。今日はきしめん食べて寝ます。」だって。

 さて、展覧会2日目。車で三越本店にいって、駐車場にはいって、店内に入ったら、いきなり「ランドマーク」という食堂があって、ここのウナ重は約2000円とリーズナブル。デパートで2000円で茶碗蒸しまで付いているという状況に、不安を覚えながらも、注文するとやはり2000円なりのウナギだが、デパートでこの値段で、この味で、茶碗蒸し付きなら、総合的にはよく頑張っている。というものでした。

 次回はもう1000円足して、特別食堂に行きたいと希望しながらも、九州での研修以来、「常に、通ったことの無い、新しい道を走る」大切さを学んだので、まあ良かったかと・・・

 恒例の陶芸部会出品者研究会では、いつもより少なめだけれど120名以上の出席者があり、挨拶のあと鑑審査委員の先生が講評をいたしました。私なりに気になったところをワンポイントで紹介すると

H先生「鑑査といっても、落としたわけではない。展示する作品を選ばせてもらったのだ。」

S崎先生「技術に破綻がないことを追求するあまり、創作性に足りない作品がある。」

K澤先生「必要以上に大きな作品が目立った。土物のなかに、技術、技法、素材をしるあまり、無理をしている作品がある。」

S木先生「陶芸とは、五感に訴えるものであること。使うイメージを持つことも大切。」

M田先生「今年、2点入選の人はいなかったが、2点出品の制度は意味はある。」

I泉先生「入選点数が少なくなることは言われていたが、そういうことは考えないで選んだ。」

某国宝の先生「これまで、底辺を広げることで高くなる。という考えがあったが、今年の展覧会は革命とまでは言わないが、改革があった。日本一厳しい展覧会となった。しかし変に新しがる必要はない。コアパーソナリティというのかアイデンティティなのか、しっかりともつこと。」

 このあと会場に戻って、各自、先生をつかまえて、個人的に講評をいただく。私はなんとなく、交通費や宿泊費をたくさんかけて東京に来ている出品者に気後れして、なかなか講評まではたどり着かないので、喫茶店へ・・・

 ほどなく懇親会が始まり、受賞者の挨拶など聞きながら、いつかあそこに立てる日が来るのかしら?と夢を見ながらも、現実にもどり、ひとあしお先に2次会の会場へ移動。

 60人でスタートした陶芸部会の2次会も、なぜかだんだん増えてきて、最終的には85人だったらしい。

 そのあとは銀座に繰り出す人。カラオケに行く人。ラーメンに行く人。私たちはちょっと仕事っぽい打ち合わせがあって、コーシーかなんか飲んじゃって、まるでオヤジじゃないみたい。でもオヤジですけど。

  

 

 

 

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2011年9月20日 (火)

「極道めし」をよろしく

 2011年9月23日に「極道めし」という映画が公開されるのですが、わが工房のネットショップで販売している器を提供しました。ので、試写会に行ってきました。もともとはこの映画のフードコーディネーターさんが、ショップのお客様で、ご紹介をいただいたものです。

 映画制作に協力したので、これまでにも何回が試写会にいくチャンスがあったのですが、「浅草公会堂で映画をやる」と聞いて、「近くて良いや」と、行ってみることにしました。

 公会堂の中にいる人たち、の雰囲気が、普段浅草に居る人と違う。文化的な感じ。服装とかではなく「立ち振る舞い」が、明らかに浅草ではない。何だろう?思ったら現在、「浅草コメディ映画祭」開催中だそうで、映画が始まる前には監督自ら、挨拶。映画が終わってからは、出演者がみんな出てきて、映画の中で動いていた人が、そこで生で動くなんて不思議というか、贅沢というか?木村文乃さんがかわいいのなんの。

 早速、ハラが減って、映画に出てきたラーメンを作って食べました。

 映画を見てくれよう。という方は、漬物、みかん、高野豆腐、かぼちゃだんご、の器に注目してね。

 そして映画の一番いいところで使われているラーメンどんぶりは知る人ぞ知る。美濃で志野で有名な陶芸作家、S井さんの実家で作られているもののような気がします。

 肝心の映画ですが、ところどころ「ああ、制作費が少ないんだなぁ。」と感じるところはあるものの、大変良い感じの映画でした。ぜひ御高覧を・・・

 今回は宣伝でした。

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鮭の皮

 12年ぶりに博多の街を訪れました。駅がビックリするほどキレイになっていて「いつの間に?」と思ったら、「4カ月ほど前」だそうで、キレイなわけですね。

 博多と言えば豚骨ラーメンだけれども、豚骨だけでとったスープではなかなか美味しいラーメンにならないので、化学的に作った調味料を入れると、これが相性バツグン。博多ラーメンの歴史=○ジノモトの歴史。と思っておりました。が、近頃は、ラーメンの情報がたくさん流通しており、「昔から、化学調味料など使わないでやっている。」という店を見つけたので、福岡空港から直行いたしました。

 天神駅近くの水鏡神社の横に、自動車は通れないけれど、自転車ならOK。という路地があって、夜は飲み屋街になるのでしょうが、昼はあまりやってない様子。

 「トキハラーメン」は老舗らしい佇まいで、ラーメンと居酒屋の二毛作を視野に入れた営業形態のよう。事実、私が行ったときは、まだ明るいというのに、カップルというには年齢的に難しいが、夫婦では無いよね。という二人組が、赤い顔してテレビ見ながら、酎ハイなんか飲んでる。

 500円のラーメンは、なるほど、博多豚骨というイメージからは離れるけれど、アッサリと美味しい。夜の居酒屋メニュウなど観察しながら完食。このスープがいつも使えるなら、居酒屋のおつまみも期待できそう。夜に来るのも悪くないな。と思いながら、お会計をしようとすると、ここで問題が発生。

 店主がいない。

 別に急ぐ訳じゃないけど、しばらく待っても帰ってこない。残された道はひとつ。常連とおぼしきカップルのような人たちに、500円を託す。いやまて、彼らがネコババしたら、私は無銭飲食で手配され、福岡県警に捕まるかもしれない。そうなると、どうして福岡に来たのか調書を取られるでありましょう。そして、私が日本工芸会の重要無形文化財伝承者育成会の研修生として、九州入りしたことがバレる。そうなったら井上萬二先生の名前はぜったい出さないけれど、いくら口が固い私でも、福岡県警にカツ丼なんか出されたら、黙秘を通すことができるだろうか?

 しかしまてよ、この店のレジは彼らの目と鼻の先にあり、チョイと手を伸ばせばいくらでもなんとかできそう。この状態で店主が留守をするということは、この二人は「信頼に足る人間」に違いない。と勝手に解釈して、「すみませんけど、ここに500円置いていきます。」「アイヨ!ありがとね。」だって。ここで、急に「ふたりは店の関係者ではないのか?」という疑問が発生。すっかり福岡にあたって、だいたい私が今いるこの街は、「福岡」なのか「博多」なのかもハッキリしない。もうなんだかわけのわからぬまま、しばらくしたらまたハラが減り、赤坂(福岡の赤坂)の鈴木商店へ・・・

 こちらはもう、ビールだの焼酎だの飲んでしまって、ラーメンの味は定かではないけれど、やはり「豚骨だけ」ではなかったかな。鳥ガラスープの香りもしたような。わざわざ博多まで来たのに。という部分を除けば、普通に美味しかった。

 博多のラーメン屋って、飲み屋なんですね。こんな店がうちの近くにできたらいいのに。

 博多から有田までは、特急で一時間半。途中、武雄温泉までは田園風景が広がっているけれども、武雄から急に山になり、登り勾配に列車もうなる。

 明日からの研修に向けて、挨拶周りなどして、有田の町を見学。

 研修初日、ここからいろいろ楽しくも厳しくも面白い研修が始まるのですが、内容については、いずれ工芸会のほうから、公式な記事が出ると思うので、ここでは割愛。

 昼休みに「どうせ目と耳は空いているから」とタメになるDVDを見ながら、食事をするのだけれど、井上先生出演のテレビや映画などの映像や、第二次世界大戦関係の映画など。

 井上先生は、海軍に入隊されていた経験上、「戦争は絶対にあってはならないこと」だが、「そこにいた自分には、皆さんに伝える義務がある」とおっしゃって、見せてくれたのですが、これが意外と(ごめんなさい)面白かった。特に、その場におられた先生に素朴な質問をすると、臨場感あふれる答えが返ってくるので、たとえば軍人の給料の話など、興味深々。

 私はいままで、戦争ものの映画などは、見て見ぬふりをしていましたが、今度、DVD借りてこよう。と誓うのでした。このブログを見ている方も、「小山がそう言うなら、オレもなんか見てみるか?」とお思いのかたにお勧めなのは「ああ予科練」であります。大原麗子がかわいいのなんの。

 戦争ものは何となく避けてきましたが、捕虜ものは本など良く読みます。私は「戦う」方向には適正がありませんが「逃げる」方向には特に適正がありますので、捕虜になって生還した人の本は面白い。そこに書かれているのは「生きるためのノウハウ」であります。水木しげる先生の戦記漫画も本も、普通に手に入るものは、なるべく読んだと思いますが、これもお勧めです。

 古くからの陶芸関係の知り合いのNさんは、シベリヤに抑留された経験をお持ちのかたで、寒さと飢えで、数年の抑留のあと、日本に帰れたのは、約半数だったそうです。「帰れた人と帰れなかった人の差はどこにありましたか?体力?体格?性格?」と問うたところ「鮭の皮だった。」とのこと。

 「連日の重労働と、寒さで常に腹ペコなんだけど、食事は黒パンとスープ。それによく鮭が入ってるんだけど、どんなに腹ペコでも鮭の皮を食べない人は食べないね。『食べるところじゃない』って言うんだよ。だから僕なんかはよくもらって食ってた。日本に帰ってから思い出すんだけど、あのとき鮭の皮を食ってた連中は、ほとんど帰ってきてるね。皮を食わなかったひとの多くが残念ながら・・・。皮の分の栄養かしら?そんなにいつもじゃないし、バイタリティっていうのか、執着っていうのか、なんでも食ってたひとは、帰ったね。」

 ヤキトリの「皮」ならよく食べるけど、それじゃダメかしら?

 

 PS 第58回日本伝統工芸展。本日、東日本支部の若手と、元若手、約30名にて無事飾り付けてまいりました。今年は、入選点数が少なめだったことは残念ですが、ゆったりと見やすい展示となりました。

 出品者研究会に出席の方は、22日の午後2時から。懇親会は6時から。陶芸部会の2次会は、ここ何年か同じ、日本橋の居酒屋「一九」で、8時から10時まで、そのあとは知りません。銀座にくりだすも、ワタミにいくもどうぞご自由に・・・

 三越の懇親会の会場受付で、二次会の案内をお渡ししますが、御都合により二次会会場に直接行かれる方は、小山まで・・・

  

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2011年8月28日 (日)

北海道に行ってきました

 今回は、陶芸も工芸会もお休み。我が家の旅行記。ただの健忘録です。

大洗発、苫小牧行きのフェリーを予約はしたものの、二つの台風と、オマケの熱帯低気圧が、三つ巴で太平洋沖にありましたので、ギリギリまで、出港できるか不安でありました。

「今日はお休み」と思っていても、我が家の狭い工房を、数メートル移動するだけで、20個くらいの仕事を見つけてしまうので、休もうと思ったら、工房から離れるのが一番。しかも遠ければ遠いほど、あきらめがつくというか、リラックスできるので、毎年、夏には滞在費の安そうな国へトンズラするのが、恒例でした。

今年は災害もあり、積立貯金を海外に落とすよりは、国内に落としたほうが良いだろう。燃油サーチャージも過去最高だし、ということで、涼しい北海道へ行くことにしました。

朝の9時に出発。フェリーは夕方なのに、なにをそんなに?とも思いますが、まずは水戸まで行って、ブックオフで漫画や古本を購入。大洗水族館を見学しているとあっという間に、乗船時間が近づいてきました。

最大の懸案は、フェリーに食糧を買って乗り込むか、レストランを利用するか?です。レストランは夕食、朝食あわせて2300円なので、一家4人だとマクドナルドのハンバーガー85個分くらいになるので、(小学生はちょっと安い)けっこうな来馳走ですが、まあここは経験を買うということで、奮発しました。

しかしながら、ピークのこの時期、好きな時間に食べられるわけではなく、早々に船内放送で「いまは満員だから空いたら放送すっから」 と流れ、レストラン営業時間終了30分前に「空いてきたから来てよし」と案内され、行ってみるも、子どもたちは「揺れてて食べにくい」と言いだし、ちょこっとソバなどたべて退散。われわれもビールなんか飲んで慌てて食事して船室に戻ると「今日は客が多いから、あと30分延長すっから」とアナウンスかあり、なんだかあわただしい感じ。

あちらこちらで持ち込んだツマミで宴会している旅慣れたグループがいて、「次回はハンバーガー85個持ち込んだる。」と心に誓うのでした。

売店も早く閉まるし、なんだかなぁ?とも思いますが、従業員の勤務時間を考えるといたしかたないとも思うのでした。

船室はいわゆる雑魚寝部屋から、ひとつランクアップして2等寝台という、二段ベットながら、一応個室風のスペースがあてがわれる。というもので、これは快適でした。何事も経験なので、雑魚寝部屋でもよかったのですが、隣に寝る人が酔っ払いオヤジだった場合、暑苦しい、酒臭い、イビキ攻撃の三重苦になる可能性もあるわけで、自分が三重苦の元であることは棚に上げ、四人でハンバーガー120個ぶんくらいの差額を払ったわけです。これにより私の隣で三重苦にあえぐ人も一人減った訳で、すべては世の為、人の為。

予算の話ですが、国外旅行の場合は最初にまとまった旅行代金を払えば、現地ではローカル食堂など利用して、たまにお腹こわしながらもチープでも楽しく過ごせると思いますが、国内の旅行はなんでもかんでも高いはず。そこで今回は宿泊施設利用の場合、一家4人で15000円以内(もちろん食事なし)と決めて、それでも北海道に行く以上、温泉は源泉かけ流し。と決めて、何日かはキャンプで過ごす作戦でした。

苫小牧上陸のあとは一路帯広へ。上陸したのが午後2時で、一昔、前なら強行軍。帯広到着は深夜。ですが、最近は高速道路があるので早いです。ただし道東自動車道は、あと2カ月で完成だそうで、ギリギリ間に合わなかった我々は、夕張でいちど一般道に降り、メロンなど賞味して、占冠というところでまた高速にのり、帯広にはなんとか日のあるうちに着きました。

今夜の宿はグリーンホテルという、サウナ温泉ホテル。帯広の温泉はモール温泉といって一般的な地熱による温泉とはちょっと違った、珍しい温泉だそうで、薄いコーヒーみたいな黒いぬるぬるしたお湯が、良い感じ。地元では人気の平和園という焼き肉屋でジンギスカン食べて呑んで食べて、一家で舞い上がって総決起集会をした割には、8000円だって。じつはジンギスカンが上、中、下とあって、みんな試してみたけれど、あまりその差がわからず、この店が高いのか安いのか、旨いのかそうでもないのか、コメントはむずかしいけれど、安くて旨いのだと思います。

セイコーマート(北海道のコンビニ)で買ったソフトカツゲン(北海道のヤクルト?)を呑みながら、高速と一般道で阿寒湖に移動。途中に立ち寄った道の駅で、坊主アタマのオヤジの写真がたくさんあると思ったら、松山千春先生だそうで、それいらいドライブ中、頭の中は「はてーしない、おおーぞらと、」がずっと繰り返し再生されていました。

阿寒湖はすっかり観光化されていて、「湖を見るのにただでは見せません」オーラに包まれ湖畔の駐車場はほとんど有料。湖や河川というのは本来、誰のものでもなく、国民の財産であるので、意地でも見ません。コタン村の土産物屋をひやかして、退散。

屈斜路湖の砂湯キャンプ場に着くと、早速テントを設営し、夕食の買いだし。といってもキャンプ場で美味しいものを食べる。という価値観はないので、コンビニのツマミとおにぎり。調理をしないキャンプはけっこう時間があるので、地元の川湯温泉共同浴場であたたまり、ノンビリしました。

翌日はカヤックの講習。15年ぶりに倉庫から引っ張りだしてきた年代物のカヤック(クローズドデッキの一人乗りカヌー)は、ところどころひび割れの修理が必要だったものの、なんとか元気。ブランクのあいだに世の中が変わってしまい、パドル(両方に漕ぐところが付いたオールのようなもの)の形が、いまや全然違うらしい。浦島太郎は、新しいほうは扱えないので、15年前のパドリングを子どもに伝授。自由に湖水を行き来できるようになったところで、沈(転覆)の練習。ひっくり返ったカヤックから、100パーセント自力脱出できるようになるまで、川には行きません。と思っていましたが、案外とたくましくクリア。

この日の温泉は、昨日と同じ川湯温泉。ですが、共同浴場はローカル憩いの場のため、すこし遠慮して、ちょいと高級旅館へ。おひとり入浴料800円なり。

風呂場に「ここの温泉は日本一と言われている草津温泉よりも、酸性度が高いのだ。」と、張り紙がしてあり、なるほどちょっとした擦り傷にピリピリしみる。ただし、草津温泉が日本一なのは、温泉の湧出量と温度を合わせた地下から湧き出るエネルギー量が日本一なわけで、べつに酸性度が日本一じゃないからね。こんなところで勝負されても困るでしょう。KONISHIKIに卓球で勝負を挑んで、勝つような感じ。

「せっかくだから、キャンプっぽいこともしよう。」ということになって、バケツでBBQ。

ここの砂湯キャンプ場は、お勧めスポットで、湖畔の砂場を掘ると、熱い湯が湧き出すという、不思議な場所です。今回は暖かかったけど、寒めの日でも地熱があるので、テントの中は自然のオンドル状態。トイレや炊事場もキレイに管理されていて、一家4人で一泊1400円なり。

夜が明けると、車にカヤックを積みなおし、下流の塘路湖へ・・・ここでカヤックを下して、一家3人リバークルーズへ出発。4人目の家族は車をさらに下流の細岡まで持っていき、3人をピックアップする係。

15年ぶりの釧路川。やっぱりステキ。川幅が狭くなったかな?そして倒木も多かったような?でもトンボの飛び交うなかプカプカしてるとなんの音もしない。途中、カナディアンというオープンデッキカヌーに乗った、ツアーの皆さんと2組会いました。これも15年前は無かったのでは?

もっとゆっくり、川下りしたかったけど、子どもたちはバスケ、バドミントン、フットサルなどこなす現役のスポーツマン。やけに真面目に漕ぎやがる。そして体重が少ないもんだから、進むのが早い。全行程9キロ、約2時間のリバークルーズ、オヤジは付いていくのが精いっぱいでした。

温泉は川湯温泉駅近くの「ホテルパークウェイ」。2日続けて酸性度の高い温泉に入ったので、趣向を変えたいとの要望があり、このホテルはすぐ後ろが硫黄山という立地にも関わらず、温泉は重曹泉だそうで、もちろん源泉かけ流しで、大変よかった。女子チームを待つ間、宿泊客の食堂が目に入るのだけれど、お客さんに合わせて温かいものをだしたり、好みを聞いたり、心のこもったサービスを提供している様子を確認したので、次回はここに食事付きで泊りに来たいと思いました。

でも、キャンプ場にもどり、もう一度バケツでBBQ。賞味期限切れ寸前の半額ジンギスカン肉、おいしゅうございました。

夜が明けると、キャンプ撤収。車でオホーツク海へ。原生植物園では「東京の茶花屋で、一本ン百円で売ってるのが、自然に生えてる。」と配偶者ははしゃいでいるも、あとの3人は興味無く、トウモロコシをかじる。

「博物館網走監獄」で、獄中食を注文すると息子が白い目を向けるので「何事も経験だ。アンタも食ってみろ」と言うと「絶対イヤ」だそうで、なにが絶対イヤなのか分からないけど、かたくなに拒否するところがちょっとおもしろかった。監獄では登り窯があり、陶器もやいていたらしい。

今夜の宿は、「北海ホテル」もちろん、食事なし、予算内。四日ぶりの都市メシにありつけるとあって、希望を聞くと家族その1「モスバーガー」 その2「ケンタ」 その3「マック」だそうで、コノヤロウと思いながらも、買いだしにいくと、さすが地方都市、みんなほぼ一か所にまとまっていました。

網走にも温泉があることはあるけれども、温度が低く、加温。湯量も多くはないので、ほとんどのところが循環あり。だそうで、湯船につかりながら「パークウェイホテルは良かった」と、思い出にひたるのでした。

次の日は「流氷博物館」で流氷の勉強。すっかり冬、流氷のあるときに来たくなったけど、寒いんだろうなぁ。囚人が700メートルに一人の割合で犠牲者を出しながら作った。と、勉強したばかりの国道39号をひたすら西へ・・・

「キタキツネ牧場」で、放し飼いのキタキツネを見て、「山の水族館」では幻の魚イトウが、どこが幻?というくらい水槽にうじゃうじゃいて、それはそれで驚き、イトウのアルピノを種として固定することに成功した。という白いイトウは、赤い目玉がギョロギョロして、鰭もバサバサして、背骨が曲がってて、見るからに無理がある健全でない様子に、それはそれでまた驚き、いろいろな点で考えさせられる、問いかけのある水族館でした。水族館なのになぜか途中から「留辺蘂町の歴史」の展示がはじまるのは御愛嬌。

層雲峡温泉の「銀泉閣」のエコプランは、予算内で立派なホテルで、すばらしい温泉を満喫できるお得なプランです。どのくらいすばらしいかというと、温泉博士で「源泉かけ流し」という言葉を世に広めたマツダ先生の、お勧めの言葉が、うやうやしく脱衣所に提示してあり、だれもがそれを読みながら、ありがたい気持ちでパンツを脱ぐ。というすばらしさです。

温泉街に出てみると、ホテルの前の土産物屋が「売り物件」になってる。「ここで土産物作りながら、毎日温泉に入って暮らすのも悪くない」と思えるほど、素敵な立地だと思いました。夏は。

次の日、朝食を取ったホテル近くのカフェの、穀物を練り込んだパンが美味しかった。聞けばベジタリアンのオーナーさんが、自分で焼いておられるのだそうで、旅行中、配偶者の趣味に付き合ってカフェに何軒か行きましたが、それぞれいい感じ。レベルが高い。北海道おそるべし。

旭川では「雪の博物館」を見学し、人気の旭山動物園へ・・・動物園全体が斜面なので、いい運動になります。実はこの日、旭川の花火大会を見学予定でしたが、雨の為中止。

本日の宿「オスパーコート宮前」は温泉ではないものの、温浴施設併設。食事コーナーに漫画図書館併設。ピール呑みながら、食事しながら、漫画読みながら、TV見てダラダラと過ごす。「教育的にどうなの?」と思いながらも、他にも何組かの家族連れが、ダラダラしてて、時間がたつにつれ、どのチームが一番ダラダラしてるかの競争みたいになってきて、みごと我が家が優勝したように思います。

翌日は、ちょっとだけ早起きして、札幌市へ・・・秋に個展をやらせていただく予定の、Sさんのギャラリーを訪問し、下見。事業家のSさんのギャラリー兼カフェには、北海道でよく目にするクラフト系なのか民芸系なのか私にはよく分からないけれど、あっさりと使いやすそうで比較的安価な、がんばれば一日100個くらい作れそうな地元作家の陶器ではなく、若手ではあるけれど、それぞれ工芸会の会員で、名の通ったガッツリとした作家ものが、上代もそれなりにガッツリ展示されており、オーナーさんの気概を充分に感じたので、個展が楽しみになってきました。(10月22日からです。たぶん東京からなら2万円くらいでツアーがあるはず。札幌に集合ね。ススキノの夜は長いぞ)

この日の昼食については、扶養家族の意見は聞かず、勝手にラーメンに決定。札幌駅近くの「ラーメン共和国」へ・・・「それではみなさん。それぞれ好きなラーメンを食べてください。解散!」と、これまた勝手に宣言して、施設内を見て回る。

ちょうどお盆休みとあって、いくつかあるラーメン屋さんには、行列ができ、お店のなかで一番行列が少なかったと思われる紋別ラーメン「西や」に入ると、息子がもう居やがる。並ぶのイヤか?親に似て無精なやつ。

女性陣は塩ラーメンで有名な店に、並んで入ったようで、それぞれ「まあ美味しかった。」「それほどでもなかった。」と辛めの御意見。特に娘のほうは、モノゴコロついてから厳選したラーメンしか食べてこなかったので、結構きびしい。新横浜のラーメン博物館でも、ラーメンの鬼と言われる佐野先生のお店しか、行かない。でも一番すきなのは「サッポロ一番塩ラーメン」だって。化学的調味料の威力おそるべし。

高速道路で苫小牧に着くと、またもフェリーで食べる食糧の買いだし。港近くのイオンで、好きなものを購入し、乗船。

吉田拓郎先生の歌にある「苫小牧発仙台行きフェリー」ってやつです。

実は今回の旅行は、東北に行きたかったけど、いろいろなことがうまくいかずに、北海道になったのですが、やっぱり気持ちだけでも「カンバレ東北」したほうが良いだろうということで、仙台に上陸し、一泊だけすることにしました。

津波の被害を受けた仙台港はほぼキレイに片付いましたが、港の桟橋におおきな貨物船が打ち上げられたままになっていたり、ところどころに「持ち主がいたら連絡を」と張り紙してある車が落ちていたりと、まだまだ元通りというわけではないですね。

そのまま車を走らせ、鳴子温泉へ・・・

湯治部がある旅館で一泊だけの湯治気分を味わう。建物が全体的にナナメなのは地震とは関係なさそう。一人一泊3千円だそうで、高いか安いか分からない?北海道では4人で1万2千円くらいで、水平なホテルに泊っていたけど・・・

鳴子温泉は源泉の種類が豊富なのが特徴で、この湯治部(自炊部)のある旅館も、4つの異なる源泉を持つので、一泊で4通りの温泉が楽しめます。

しかし自炊部にお客がたくさんいるにも関わらず、食品スーパーに品ぞろえはいまいちだし、温泉街の飲食店は暗くなると閉まるし、この温泉街は「温泉は良いけど残念な温泉街」という印象でした。しかたがないのでセブンイレブンにいったら、大繁盛してた。

東北と北海道は北緯などの地理的条件以上に、豊臣秀吉の天下統一の「天下」に入っていたか居なかったかで、ずいぶん気風のようなものが違うように感じます。

一夜あけ、温泉街をあとにして一路東京へ・・・

途中、東北自動車道で、福島第一原発から53キロというところまで接近し、「アメリカさんの基準だと避難区域か?」と思うだけで、あまりいい気持ちはしませんね。事実、線量計を持っている人たちの投稿サイトでは、白河あたりまで放射線量が高めでした。

東京に帰って、我に帰って、窯など焚いて、茨城県陶芸美術館に講演を聞きに行ったりしていると、あっという間に日本伝統工芸展の発表があり、今年は陶芸部門に限らず、全体的に入選者数が少なくなっているようで、私はなんとか入選できましたが、我が東日本支部の陶芸部会は厳しい状況で、祝杯を揚げる相手が見つからなくて困ったよ。

9月2日(金)~7日(水)まで、ながの東急でグループ展をやっております。東日本支部の幹事をしているメンバー中心の展覧会です。が、わたしは工芸会の伝承者育成研修会の研修生として、1日~6日まで、九州有田の井上萬二先生の工房で「白磁」の勉強をしてまいります。

そんなわけで、長野の展覧会に関しては、すっかり戦力外通告を受けて、なにがどうなってるんだか詳しい情報が入ってこないのだけれど、作家のギャラリートークや評論家の講演会など、あるらしい。興味があるひとは、自分で調べて行ってください。

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